2021.11.25

閑・感・観~寄稿コーナー~

老人ホームで〝喫茶室のチーフ〟⁉(中谷 清次)

 「いらっしゃーい」「有難うございます」――。私は今、老人ホームの喫茶室でボランティア活動をしています。40年余毎日新聞社で働いていたが、こんな声かけをするのは初めての経験で、いまだに面はゆい思いが消えません。喫茶室は羽曳野の四天王寺悲田院(ひでんいん)の一角で2年前からお手伝い…

2021.11.19

閑・感・観~寄稿コーナー~

地域の平穏な暮らしのためのボランティア団体会長として(山中 博文)

 徳島県警本部認定の自主防犯ボランティア団体「公方パトロール隊」(会員45人)と「那賀川北部地域の安全を守る会」(会員43人)の2団体の会長として、「住民の皆さんに平穏な暮らしを」と、会員とともに地道な活動を続けています。 公方パトは。赤色回転灯を取り付けた認定車両7台に分乗し、…

2021.11.16

閑・感・観~寄稿コーナー~

今も生きる「平和の鐘」への思い(松倉 展人)

 70年前の1951年10月末。西ベルリン(当時)に立つソ連軍戦勝記念塔の前で、4人の男が記念写真に納まった。左からフレーミング・UP(現UPI)通信ベルリン支局長、警備のソ連兵、毎日新聞の渡辺善一郎・ヨーロッパ移動特派員(いずれも肩書は当時)、愛媛県宇和島市からやってきた中川千…

2021.11.14

閑・感・観~寄稿コーナー~

星を⾒たり撮ったりしています(苗代 隆夫)

 ⽉齢が新⽉の頃になると、暗い星空を求めて遠出します。都会の光害から逃れるためには100キロ以上離れるのが効果的です。春〜秋は五條市の⼭奥やハチ北へ、冬は和歌⼭県のすさみへ⾏くのがここ数年の決まりになっています。いずれも休憩を⼊れると⽚道3時間以上かかります。  写真の望遠鏡は、…

2021.11.11

閑・感・観~寄稿コーナー~

特約通信員について(丸井 康充)

 「特約通信員」は、元記者を対象に毎日新聞社の委嘱による契約記者で、自主的な取材を行って原稿を親支局(丹波通信部の場合は神戸支局)に送り、社から原稿の「使用料」をいただくという制度です。  社員のように社との「雇用関係」はなく、原稿1本ごとに決められた支払いを受けます。雇用関係が…

2021.11.09

閑・感・観~寄稿コーナー~

退職後の釣り(田尻 徹夫)

 統括管理部で役職定年となり、55歳で繰り上げ定年退職。(株)毎日新聞大阪センターに65歳10ヶ月までお世話になり、リタイヤ。今、73歳2ヶ月。  退職後は、ゴルフと滞在型リゾートホテルのメンバーとなり、月3回の競技ゴルフ、月1の旅行、六甲徘徊に釣りの日々。だが酷い腰痛発症で今は…

2021.11.07

閑・感・観~寄稿コーナー~

定年後の悪あがき(小薮 修)

 毎日新聞社を定年まで勤め上げ、次に目をつけたのが、毎日ビルディング(警備)。順風満帆とは言えないけど、それなりに充実した日々を送らせてもらっていたが、63歳を待たずして退職。  さあここからゆっくりした人生も悪くないと思っていたが、特にすることもなく、ただただ「毎日が日曜日」と…

2021.11.05

閑・感・観~寄稿コーナー~

毎日文化センターでニュース検定の講座講師やっています!(中島 章雄)

☆きっかけは後輩からの電話   32年間務めた毎日新聞社、最後は大阪本社編集局次長で退社し、和歌山放送社長に転身、自宅を和歌山市内に構えました。3期6年で同社社長を任期満了退社、2年前まで毎日新聞大阪本社2階の毎日文化センター社長として和歌山から通勤していました。  文化センター…

2021.11.03

閑・感・観~寄稿コーナー~

人生山あり・谷あり 傘寿を迎えて(田居 哲夫)

 私は昭和16年12月29日大阪市十三済生会中津病院で誕生、戦時中は母の実家淡路島のお寺に疎開。戦後、十三の家は焼失(父は十三では阪急百貨店の誂え紳士服の縫製の下請け)父は尼崎の6軒長屋の1軒に転居(何故父がこの家に住んだかは不明)。母と私は疎開先の淡路から尼崎の家へ小学生、中学…

2021.11.01

閑・感・観~寄稿コーナー~

手軽にウォーキング(荒谷 哲二)

 毎友会の皆さまお元気ですか、定年後、近くの透析専門クリニックでの患者さんの送迎のアルバイトをしております。2年目がすぎ、もう少しやりたい時間をと思い、週4日のアルバイトを、週2日にしてもらい、余暇を健康生活にと考え、体力維持を目的に、以前から趣味のウォーキングを再開することにし…

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