2021.11.14
閑・感・観~寄稿コーナー~
星を⾒たり撮ったりしています(苗代 隆夫)
⽉齢が新⽉の頃になると、暗い星空を求めて遠出します。都会の光害から逃れるためには100キロ以上離れるのが効果的です。春〜秋は五條市の⼭奥やハチ北へ、冬は和歌⼭県のすさみへ⾏くのがここ数年の決まりになっています。いずれも休憩を⼊れると⽚道3時間以上かかります。 写真の望遠鏡は、…
2021.11.11
閑・感・観~寄稿コーナー~
特約通信員について(丸井 康充)
「特約通信員」は、元記者を対象に毎日新聞社の委嘱による契約記者で、自主的な取材を行って原稿を親支局(丹波通信部の場合は神戸支局)に送り、社から原稿の「使用料」をいただくという制度です。 社員のように社との「雇用関係」はなく、原稿1本ごとに決められた支払いを受けます。雇用関係が…
2021.11.09
閑・感・観~寄稿コーナー~
退職後の釣り(田尻 徹夫)
統括管理部で役職定年となり、55歳で繰り上げ定年退職。(株)毎日新聞大阪センターに65歳10ヶ月までお世話になり、リタイヤ。今、73歳2ヶ月。 退職後は、ゴルフと滞在型リゾートホテルのメンバーとなり、月3回の競技ゴルフ、月1の旅行、六甲徘徊に釣りの日々。だが酷い腰痛発症で今は…
2021.11.07
閑・感・観~寄稿コーナー~
定年後の悪あがき(小薮 修)
毎日新聞社を定年まで勤め上げ、次に目をつけたのが、毎日ビルディング(警備)。順風満帆とは言えないけど、それなりに充実した日々を送らせてもらっていたが、63歳を待たずして退職。 さあここからゆっくりした人生も悪くないと思っていたが、特にすることもなく、ただただ「毎日が日曜日」と…
2021.11.05
閑・感・観~寄稿コーナー~
毎日文化センターでニュース検定の講座講師やっています!(中島 章雄)
☆きっかけは後輩からの電話 32年間務めた毎日新聞社、最後は大阪本社編集局次長で退社し、和歌山放送社長に転身、自宅を和歌山市内に構えました。3期6年で同社社長を任期満了退社、2年前まで毎日新聞大阪本社2階の毎日文化センター社長として和歌山から通勤していました。 文化センター…
2021.11.03
閑・感・観~寄稿コーナー~
人生山あり・谷あり 傘寿を迎えて(田居 哲夫)
私は昭和16年12月29日大阪市十三済生会中津病院で誕生、戦時中は母の実家淡路島のお寺に疎開。戦後、十三の家は焼失(父は十三では阪急百貨店の誂え紳士服の縫製の下請け)父は尼崎の6軒長屋の1軒に転居(何故父がこの家に住んだかは不明)。母と私は疎開先の淡路から尼崎の家へ小学生、中学…
2021.11.01
閑・感・観~寄稿コーナー~
手軽にウォーキング(荒谷 哲二)
毎友会の皆さまお元気ですか、定年後、近くの透析専門クリニックでの患者さんの送迎のアルバイトをしております。2年目がすぎ、もう少しやりたい時間をと思い、週4日のアルバイトを、週2日にしてもらい、余暇を健康生活にと考え、体力維持を目的に、以前から趣味のウォーキングを再開することにし…
2021.10.21
閑・感・観~寄稿コーナー~
パソコン囲碁(桜井 一郎)
昭和12年生まれ、84歳を迎えました。京阪電車のホームから線路に転落して腰の骨や右ひじも骨折したり(72歳)、食道がん手術と肺へ転移で抗がん剤治療に耐える(77歳)など、人並みに危ない目にもあいましたが、その都度生き返り、この歳まで生き永らえてきました。 最近の日常をお知らせ…
2021.10.16
閑・感・観~寄稿コーナー~
病気と水彩画(堂守 輝邦)
以前にも記しましたが2013年の秋、医師から「多発性骨髄腫」という病名を告げられ、治療しなければ数年の命ですと説明を受けました。 抗がん剤治療や自己抹消血幹細胞移植手術など受けましたが、完治する見込みはなく、限られた命を自覚しています。人間はいずれ死ぬ。それは分かっていても…
2021.10.08
閑・感・観~寄稿コーナー~
販売局出身の152歳が現役で頑張っています(山田 政利 、澤田 幸久)
カバンとともに 2人で約 60年、担当社員として大阪本社管内の増紙・輸送競争、販売店の新設、育成、代金回収、業務労務支援等多岐にわたる仕事を経験しました。中でも戸別配達制度維持のため新聞少年センバツ招待や毎日育英会時代の新聞奨学生の募集や育成、バブル時の戸別配達制度崩壊の危機に…
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