2026.07.28
閑・感・観~寄稿コーナー~
毎日新聞の元台北特派員、若菜正義さん(1915―2002年)の評伝『台北特派員秘録 若菜正義と「白色テロ」の時代』を2026年7月末に出版しました(白水社、税込み2970円)。社の大先輩の生涯を追った本だけに、OBの方が多数登場しますので、ぜひ、毎友会のみなさまに紹介させていただきたいと思います。

若菜さんは戦前、上海毎日新聞(社名に「毎日」が付きますが、毎日新聞とは無関係の独立した新聞社です)の記者となり、同紙が軍主導の「国策新聞」である大陸新報に吸収合併されたのを機に、毎日新聞に移りました。上海支局から北京支局に異動したところで終戦を迎えるも、共産党スパイの疑いをかけられて国民政府の憲兵隊に拘束され、拷問も受けて1年4カ月抑留される苦難の体験をしています。
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戦後は、中国専門記者として東亜部(後に外信部)で内勤をこなし、1956年、台湾に赴任しました。1960年に任期を終えて帰国するのですが、台北支局は閉鎖されたため、最後の台北特派員となります。毎日以外の日本メディア5社は先に台湾から撤退していたので、最後の日本人特派員でもありました。
その後も、バンコク支局長や香港支局長などを歴任し、1970年に定年退職するまで一貫してアジアを担当してきました。戒厳令下のベトナム・サイゴン(現ホーチミン)にいち早く乗り込み、現地ルポで1面トップを飾るなど、国際派記者ならではの醍醐味もたびたび味わっています。「東亜に入って、外信で卒業した」アジア報道一筋の若菜さんは、退職後も4年間、外信部の特別嘱託として台湾報道に携わりました。
また、退職後は30年間にわたって、台湾に関する大部の年鑑『台湾総覧』を発行し、国民党政権から日台関係への貢献を評価されて表彰されたこともあります。これにより、日台双方で、台湾専門家として揺るぎない地位を確立しました。
一方で、近年、民主化とともに台湾で機密資料の公開が進み、若菜さんが国民党政権に弾圧される民主活動家や独立運動家らに寄り添っていた事実が明らかになってきました。当時、台湾は国民党一党独裁の強権体制で、抵抗する者は政治犯として摘発され、処刑されたり、投獄されたりしていました。
の帰国あいさつの際に撮影された蔣介石との記念撮影(1960年8月23日、台北市の蔣介石執務室で)若菜家提供-300x223.jpg)
そうした恐怖による支配は「白色テロ」と呼ばれますが、公開された政治犯の判決文や取り調べ調書など公文書には、支援者(当局側からすれば、「共犯者」になりますが)として若菜さんの名前が頻繁に出てきます。若菜さんは記者として、蔣介石や周辺とパイプを築く一方で、迫害される人々にそっと救いの手を差し伸べていたのです。若菜さんの「強きに食い込み、弱きを助ける」物語は本書の主軸になっていますので、関心のある方はご一読ください。
取材を通じて、戦前から続く毎日新聞と台湾の深いつながりも浮かび上がってきました。その中で、毎日新聞初の台湾人記者である呉三連氏を紹介します。
呉三連氏は日本統治時代の台湾で生まれ、東京商科大学(現一橋大学)に入学。1925年に卒業し、大阪毎日新聞に入社しました。大毎では経済記者として、金融、交通、産業界などを担当しています。旧堂島本社が完成したのが1922年ですから、まだ真新しい本社で仕事に励んでいたわけです。
と同僚(財団法人呉三連台湾史料基金会提供)-300x209.jpg)
大毎時代について、呉三連氏は回顧録で「毎月、給料を使い果たしていたが、部長のサインがあれば、経理から借りることができた。借金はボーナスで返したが、いつも自転車操業状態だった」と振り返っています。新聞記者は、昔から同じような暮らしぶりだったのですね。
そんな記者生活を、呉三連氏は「すこぶる愉快だった」と懐かしんでいますが、台湾の民族運動指導者らが1932年、台湾人による初の日刊紙・台湾新民報を創刊することになり、編集幹部として招かれ、台湾に戻ります。同社の立ち上げに当たり、大毎は資材購入や技術研修などの面で支援していますが、呉三連氏との関係があったからでしょう。
戦後、呉三連氏は国民大会代表(国会議員)選挙で当選して政界に進出し、台北市長や台湾省議会議員なども務めました。当時は禁じられていた野党結成運動に取り組みましたが、国民党政権から圧力を受けて挫折し、経済活動に専念します。南部の台南を拠点に、紡績やセメント、ガス会社などを次々と設立して50以上の企業の役員を兼任し、「台南グループの総帥」と称される有力者となりました。
1959年には、夕刊紙・自立晩報に投資して、再び新聞界に身を投じます。同紙は権力にこびない論調で人気がありました。1987年には、国民党政権の警告を無視して、まだ往来が禁止されていた中国に記者2人を派遣し、台湾紙による初の中国取材として大きな反響を呼びました。
1976年には、民間人としては異例だった総統府国策顧問に任命されています。1988年に総統に就任した李登輝は、すぐに呉三連氏を訪ね、国事について助言を仰いでいます。呉三連氏は同年に89歳で死去しますが、若菜さんは追悼文で「青春時代、毎日新聞に在職したことは、その後の人間形成、経歴などに大きなプラスになったことと思われる」と指摘しています。そのほかにも、毎日新聞は台湾と浅からぬ縁があるのですが、そうした事情は本書で取り上げています。
最後になりましたが、本書の取材では、社が所蔵する貴重な資料を閲覧させていただいたのをはじめ、多くの社の同僚や関係者の方々にお世話になりました。この場を借りて、改めて御礼を申し上げます。
(元論説室、近藤 伸二)
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