閑・感・観~寄稿コーナー~
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ふ留井が64年の歴史に幕①だれかいる?だれがいる?

2026.04.05

閑・感・観~寄稿コーナー~

  「2026年3月31日に廃業届けを出し、64年の店に幕を下ろしました」

 大阪市・北新地のふ留井の2代目女将、満壽美さん(私は「ますみちゃん」と呼んでいました)からメールが届きました。毎日新聞の社員が入りびたった居酒屋さん(おでん屋さん)、寂しい限りです。

左端が初代女将(2009年3月)

 ふ留井の開店は1962年4月19日です。私が大阪勤務になったのは1974年春。そのころは、社会部の送別会は会社で行った後、2次会は必ずふ留井でした。狭い店内は満員電車のような混みようで、私のような若い記者はいつも立ち飲みでした。

 たくさんの毎日社員が飲みに行くので、初代女将の米子暁美さん(私は「おばちゃん」と呼んでいました)は会社の情報に詳しく、話しやすいとも言え、一方でうっとうしいと言えるのですが、それでもみんな通い詰めました。

 私が子どものころ、「事件記者」というテレビ番組があり、記者がたむろする居酒屋さん「ひさご」が出てきました。ふ留井に初めて行った時、「ひさごみたいな店は、本当にあるんや」と感激したものです。

 酒の勢いでけんかする人もいました。仲直りするために、飲みに行く人もいました。なぜかギターを持って行き、弾き語りをする人もいました。新人は落書き帳に決意を書かされ、転勤する人も記帳させられました。本を出した人は、店に置いてもらいました。トイレには名刺が張りまくってありました。つけで飲む人ばかり。私はこの良きしきたりを大事にし、定年退職後も長くボーナス払いでした。

左から3番目が2代目女将(2011年6月)

 記者が取材相手をよく連れて行き、その後に常連になった人も多く、いろいろな人に出会う場でもありました。講談の4代目旭堂南陵さん(故人)は国家秘密法案にからむ取材がきっかけで、ふ留井の飲み仲間になりました。伊方原発訴訟や狭山事件の再審請求に携わった弁護士の藤田一良さん(故人)は、火曜日によく店を訪れるので、その日に合わせて飲みに行きました。

 おばちゃんとは、店での関係に留まりませんでした。寄席に行った帰りに、記者何人かがすしをごちそうになったことがありました。京都府宇治市の平等院に行った時も、大阪市・鶴橋をぶらついた時も、ご飯をおごってもらいました。金払いの悪い客に対して、金払いのいい女将でした。

 おばちゃんは2013年に亡くなり、毎日新聞本社ビル地下のオーバルホールで、偲ぶ会が開かれました。閉店が心配されましたが、姪のますみちゃんが継ぎました。とても記憶のいい人で、客の誕生日や最後に来た日を覚えているのです。ある時、何十年かぶりに読売新聞の記者に再会し、ふ留井に行ったことがあります。彼は「初めて」と言ったのですが、ますみちゃんは「来たことがあるはず」と言って、店に置いてある落書き帳を次々に引っ張り出し、ついに彼が若いころに書いたページを見つけたのです。

 おばちゃんの偲ぶ会では、参加者が思い出を書いて会場の壁に張り出しました。私が書いたのが、「だれかいる?だれがいる?」でした。店にはたいてい毎日新聞関係者がいるのですが、念のため電話して確かめる人がいました。続いて誰がいるかを聞き、そりの合わない人なら行く時間をずらす。そんなたまり場だったような気がします。

                  (元地方部、梶川 伸)

◇係から

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