2023.12.15
閑・感・観~寄稿コーナー~
学生時代から長い間夢見てきた四国八十八カ所の歩き遍路1200キロを今年(2023年)6月に完踏し、いわゆる「結願」を果たしました。2018年12月に1番霊山寺(徳島県鳴門市)から33番雪蹊寺(高知市)までを11日間で歩き、4年半のブランクを挟んで、今年5月23日から6月18日まで28日間で33番雪蹊寺から88番大窪寺(香川県さぬき市)を経て、1番霊山寺まで歩き、四国を一周しました。
四国の歩き遍路に関心を抱いたのは大学時代にオートバイで四国を旅した時でした。ヘルメット越しに見た、白装束で歩く人たちの存在感に圧倒され、衝動的に納経帳を入手し、スタンプラリー気取りで10カ所ほど回ったのが最初でした。「いつかは歩き遍路を」と淡い夢を抱きつつも、毎日新聞在籍中は果たせるわけもなく、30余年が経過しました。
実現の機会は不意に訪れました。55歳で選択定年を決断、スポ-ツ系の出版社に転職しましたが、ここで過酷な職場環境で精神状態に異常をきたし長期の療養を強いられました。身体的には不調がなかったので、四国遍路に挑む衝動にかられ、徳島から高知までを歩きました。今思えば弘法大師の導きだったのかもしれません。
それから4年間は高齢者施設で介護士として勤務しました。今年4月に介護福祉士の国家資格を取得したのを機に転職することになり、5月半ばから40日間もの有休休暇が転がり込みました。幸い家族の許可も得ることができました。
四国の太平洋側は国内屈指の多雨地帯でもあり、6月初旬の梅雨入りを前に高知県から愛媛県に入るのが当初の戦略でした。終日雨に降られる日が2、3日続くこともありましたが、梅雨入りまでに宇和島まで行くことができ、結果的にはうまくいきました。
札所では作法に準じ、本堂、大師堂で開経偈、懺悔文、十善戒に続けて、般若心経を声に出して唱え、日頃感じる苛立ち、焦りなどを忘れることを心掛けました。
特に「不妄語(悪意、敵意を持った言葉は使わない)」「不瞋恚(怒らない)」、「不邪見(よこしまな見方から離れる)」などからなる十善戒は自らの生き方を振り返っても思い当たることが多く、これまでの人生を思い返す心理的な支えになりました。
一日の歩行距離は35キロほど。宿泊したのは遍路宿と言われる昔ながらの民宿、相部屋のゲストハウス、時々はビジネスホテルで、遅くても午前7時には宿を出て、午前中に20~25キロ歩き、午後3時には宿に入って、山や海を見ながらビールを飲み、日記をつけ、翌日の予定を立てる時間を大切にしました。
宿のおかみさんや同じ巡礼者との会話は楽しく、時々は宿近くの居酒屋に出かけることもありました。
幹線道路は避けて、なるべく昔ながらの遍路道を選びましたが、暑さのなか連日標高差数百メ-トルの峠道に挑むため、当然マムシ、ハチ対策も必要になります。遍路道は草が生い茂って足元が見えないことが多く、金剛杖で足元を突きながら歩くなどマムシ対策には気遣いました。高知県南部では見たこともないサイズの個体を何匹も見かけました。
苦難を和らげてくれたのが、道すがら土地の人たちから受ける食べ物、飲み物、金銭の施し、つまりお接待でした。身なりは歩き遍路ですが、元々俗世間にまみれた者が弘法大師に見立てられて施しを受けるわけです。
お接待の風習が厚い地域、そうでもない地域と濃淡があるのが面白く、工業化が進んだ印象がある愛媛県の今治、西条、四国中央付近での信仰の厚さが印象的でした。
お遍路は時代を反映するといわれます。かつては還暦前後の男性が多かったらしいでいが、近年は多様化し、性別を問わず外国人、日本人も20歳代の若い人が目立ちます。特にスペインのカミーノなど海外の遍路道に比べ、宿泊施設などの環境が恵まれているとはいえない四国で、言葉の壁と闘いながら歩き巡礼に挑む外国人たちに感銘を受けました。
人生100年時代を反映してか、私のような60歳前後の人は少数で、70歳前後の方が目立ちました。加齢によってお遍路に挑む障害は増えるわけですから、頭が下がります。中には一度遍路に出てしまったがゆえに世俗や家族から完全分離し、何周もされている仙人のような方もおられます。
高松を過ぎ、88番大窪寺が近づいてくると、やがて訪れる喪失感に苦しみました。「いつかこの旅が終わる」という喪失感はお遍路の達成感に比べても大きく、一度お遍路に出てしまったがために家族と離別し、満願後も歩き続ける方もおられます。
歩き遍路をした者には、88番大窪寺近くの施設で「四国八十八カ所遍路大使」の称号を与えられます。もちろん何かの仕事があるわけではないけれど、あるとすれば機会があるごとに、お遍路の心を発信することでしょうか。
1番霊山寺で満願のお礼参りをした後は、四国を離れ、公共交通機関を利用して高野山奥の院、京都・東寺にもお参りし、「成満」を果たしました。
帰宅してからしばらくは一種の達成感と、「十善戒」の効果もあって心身穏やかに過ごせましたか、再び俗世間にまみれ、いつの間にか妻や中学生の息子に対して心ない言葉を使っている自分に気づかされます。
やがて、また必ずお大師さまのお導きがある時が訪れるでしょう。65歳のときなのか、あるいはもっと近い時期かもしれません。その時に歩いてお遍路を歩けるように、健康と体力維持に気遣いながら、菅笠と白装束でかの地を訪れることを妄想する日々が続きます。
きたむら・こういち 1964年滋賀県生まれ。88年毎日新聞社入社。社会部、浦和支局、運動部などを経て、北海道報道部副部長、学研宇治支局長、鳥取支局長、大阪運動部長、大阪編集委員。2018年選択定年退職、終身名誉職員。現在は介護福祉士として世田谷区内の高齢者施設に勤務。
(元編集局。北村弘一)