閑・感・観~寄稿コーナー~
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「奥の細道」を訪ねて (斎藤 清明)

2021.09.14

閑・感・観~寄稿コーナー~

 海外旅行がなかなか難しいので、国内をぶらつくだけですが、その折には「奥の細道」ゆかりの地にも寄ることにしてます。先週は敦賀の「種の浜」へ。

 芭蕉が江戸から東北を巡って北陸に来て、大垣を終着にする直前に訪ねたところ。西行の歌で知られる「ますほの小貝」を拾わんと、海上七里を舟を走して、「浪の間や小貝にまじる萩の塵」。当時は「浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり」「夕ぐれのさびしさ、感に堪たり」でしたが、現在は沖合の水島への観光遊覧や海水浴で知られる漁港です。お寺は昔からのままのようで、西行と芭蕉の碑があって、風情がしのばれました。海辺に出てみると、日本原電の敦賀原発が、遠くに見えるではないですか。たしか、断層データ書き換えなどで再稼働の見通しがないと、先日報じられたはず。芭蕉のころと、まさに隔世の感。

種の浜(色ヶ浜)の碑文
敦賀原発が見える

〇尿前の関(宮城県)
 「蚤(のみ)虱(しらみ)馬の尿する枕もと」。何ともわびしく切ない旅寝のよう。「夏草や兵どもが夢の跡」の平泉を経て、陸奥から出羽への関所で足止めくった芭蕉のいら立ちがうかがわれます。今春、訪れると関所跡が一部復元されてましたが、古い自然石の句碑もありました。芭蕉が通って八十年後に地元の俳句連が建てたもの。往時をしのんで、鳴子の中山平温泉へ。

尿前の関」の句碑

〇象潟(秋田県)
 「奥の細道」最北の地で、日本海に面した入江に小島が点在する名勝地でした。芭蕉は舟で巡り、島に上陸して蚶満寺の方丈から、鳥海山が江に映っている風光をめで、「象潟や雨に西施がねぶの花」。学生時代の植物分類学の授業で、ネムの分布北限を記録していると知り、憧れてました。
 東(太平洋岸)の松島、西の象潟とうたわれた景勝の地勢が、当時とはまったく変わっています。芭蕉が去って百十五年後の大地震で隆起して干上がってしまい、その後、干拓がすすみ、丘となった島々を取り囲むように広がる水田地帯なのです。陸地になっても、国の天然記念物で名勝、鳥海国定公園の指定地です。昨秋、蚶満寺に寄り、刈り取り終わった稲田を水面に見立てて、鳥海山を仰ぎました。
 近くに、白瀬南極探検隊記念館があります。にかほ市は白瀬中尉の出身地なのです。かって南極観測隊に同行取材したとき、「みずほ基地」の内部に「草の戸も住替る代ぞ雛の家」との落書きがあったのを思い出しました。昭和基地から二八〇キロ内陸部の最前線拠点が閉鎖された際に、『奥の細道』旅立ちの句が書きつけられたのでした。

象潟の蚶満寺

                   (元京都支局・大阪社会部 斎藤 清明)