2021.06.06
閑・感・観~寄稿コーナー~
台湾の民主化に尽くした元台湾大学教授の評伝「彭(ほう)明敏(めいびん) 蔣介石と闘った台湾人」(白水社・2750円)を、2021年5月末に出版しました。台湾の民主化といえば、日本では李登輝元総統の偉業がよく知られていますが、台湾では、彭氏は李氏と並んで民主化実現に大きな功績のあった巨頭と位置付けられています。そうした実情を、1人でも多くの日本人に伝えたいとの思いで書き上げました。
彭氏は李氏と同じ1923年、日本統治時代の台湾で生まれ、日本に渡って京都・三高を卒業し、東京帝大法学部に入学しました。戦局の悪化で生活が困難になり、診療所を任されていた兄を頼って長崎入りしたところ、乗っていた船が米軍の機銃掃射を受け、かろうじて一命は取り留めたものの、左腕を失います。長崎郊外の兄宅で療養中、原爆投下にも遭遇しました。
終戦で台湾に帰った彭氏は46年、旧台北帝大を引き継いだ台湾大学法学部に編入し、京都帝大で学び台湾大学農学部に編入した李氏と知り合います。2人の交友は、李氏が亡くなった2020年7月まで70年以上にわたって続くことになります。
卒業後、彭氏は台湾大学法学部助教となり、国際航空法の分野で次々と研究成果を上げます。カナダとフランスにも留学し、若くして法学者として国際的な名声を得て、台湾大学史上最年少の34歳で教授に就任しました。
蔣介石総統が率いる国民党政権はそんな彭氏に目を付け、国連代表団の顧問に任命して米ニューヨークで開かれた国連総会に派遣しました。蔣介石が個別に面会するなど破格の厚遇ぶりで、彭氏は将来を約束されたも同然でした。権力に逆らわなければ、恐らく、李氏より先に総統になっていたでしょう。
当時の国民党政権は一党独裁体制で、「中華民国(台湾)は大陸も含む全中国を代表する唯一の合法政府」との看板を下ろさず、共産党が支配する大陸を武力で奪還する「大陸反攻」の目標を掲げていました。現実離れした主張でしたが、それを批判する者は「共産党のスパイ」だとして、逮捕されたり、処刑されたりしていました。
そんな国民党政権から重用される彭氏は良心の呵責にさいなまれ、教え子2人とともに蔣介石の虚構を暴く「台湾人民自救運動宣言」を作成して印刷し、各界の指導層に配布して社会的な議論を巻き起こそうと計画しました。そして、64年9月、下町の印刷所で1万部を印刷したところを、密告により逮捕されました。懲役8年の判決を受け、総統の特赦で釈放されましたが、自宅は24時間厳重に監視され、外出時は尾行される実質的な軟禁状態に置かれました。
70年1月、彭氏は変装し、自分の写真に貼り換えた日本人のパスポートを使って、亡命を受け入れたスウェーデンに脱出します。世界をあっと言わせたこの脱出劇には、台湾独立運動を支援する日本人や在日台湾人が深く関わっていました。米国に移った彭氏は、米議員らに働き掛けるなどして台湾民主化の外堀を埋める役割を果たし、独立運動の「精神的指導者」としてカリスマ的な存在になりました。
台湾の民主化進展に伴って、彭氏は92年、22年ぶりに台湾に戻りました。4年後、台湾初の総統直接選挙で野党・民進党の公認候補となり、国民党の現職である李氏と対決します。李氏に大敗を喫しはしましたが、かつての「国家反逆者」が最高指導者のポストを争ったのです。彭氏の人生は台湾の民主化の歴史を体現しています。
00年の初の政権交代で発足した民進党の陳水扁政権で、彭氏は総統府資政(上級顧問)に就任しました。97歳の現在も新聞に寄稿するなど評論活動を続けています。李氏の死去に際しては、新聞に「李登輝と私」と題した長い追悼文を寄せ、李氏の告別式の葬儀委員も務めました。
私は17年から19年まで毎年台湾を訪問し、彭氏に長時間のインタビューを行ってきました。彭氏は高齢ながら、補聴器を付ければ聞き取りは問題なく、驚くべき記憶力で歴史の真相を証言してくれました。
インタビューには、ネイティブ並みの日本語で応じてくれました。発言を資料と付き合わせると、いつも正確で、記憶が曖昧なところは「はっきりしません」と、研究者らしく、確認された事実と未確認情報を明確に区別して答えてくれました。
日本でも、私は東京や横浜、山形などを訪れ、彭氏の海外脱出に協力した人たちから話を聞いて回りました。この脱出劇はあまりにもセンシティブな事件だっただけに、関係者は長らく口を閉ざしてきましたが、いずれも80代になった支援者たちは、私のインタビューで詳細を語ってくれました。彼らは、資料を準備し、懸命に記憶を手繰り寄せ、「ぜひ記録として残してほしい」と私の背中を押してくれたのです。
事件に関係する台湾の現場も歩きました。彭氏らが特務機関の取り調べを受けた施設や、海外脱出のため日本人の協力者からパスポートを受け取った場所などを探して出して訪ねました。公文書を公開している政府機関にも行き、膨大な関連文書を閲覧しました。
こうした調査・研究、取材の結果、4年がかりで刊行にこぎつけたのが本書です。彭氏は拡大鏡を使って徹夜で読んでくれ、「台湾の近代史を勉強する人にとっては不可欠で必読の古典的な存在となる」と過分な評価をしてくれました。
ありがたいことに、大阪日日新聞が5月26日付で大きく紹介してくれたほか、毎日新聞も6月5日付朝刊に書評を掲載してくれるなど、メディアも相次いで取り上げてくれています。国際問題の評論家も自身のメールマガジンで推奨してくれました。毎友会の皆様にも、ぜひご一読いただければ幸いです。
(元論説室、近藤伸二)