閑・感・観~寄稿コーナー~
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大道寺峰子のマレーシアだより(5)家族のあり方

2026.01.16

閑・感・観~寄稿コーナー~

 年が改まり、2020年代も早いもので後半に入りました。2020年の年明けは、3月に早期定年退職することが決まっていたこともあり、期待と不安の入り交じる思いで気を引き締めて迎えたことを、今も鮮明に覚えています。世の中的にも東京五輪を控えた高揚感がありましたが、その後、コロナウイルスが急速に広がり、社会が大きく変化した20年代前半となりました。

 私自身、コロナがなければ、マレーシアに来ることもなく、そのまま日本で働いていたと思います。自宅に引きこもる生活の中で、ふと目に留まったマレーシアでの求人が転機となりました。コロナ禍で国境が閉ざされる一方、リモートワークができる時代になったからこそ、海外にあえて住むという選択もありなのでは、と思ったのがきっかけでした。

 そして、そんな私の一番の理解者が、夫の堤浩一郎(岡山支局)でした。私の考えに賛同し、背中を押してくれました。

 そんな彼の三回忌を昨年11月に無事営むことができました。運動部の在籍が長かった彼ですが、大酒飲みで、ご迷惑をおかけした方も多かったことと思います。改めてこの場をお借りし、お詫びとともに、生前お世話になったことへのお礼を申し上げます。

マレーシアで仏壇代わりにしている写真立てとミニおりん。手前は、お守り代わりに持ち歩いている、結婚指輪と、遺骨の一部を入れたペンダントで作ってもらったチャーム。

 病気(舌がん)の発覚から4カ月ほどの短い闘病で、亡くなった当日の2023年のクリスマスも、容体が急変してあっという間に帰らぬ人となってしまいました。私はその間、マレーシアから一時帰国して、日本からリモートワークをするという状況。リモートワークが認められる社会のありがたさを、身をもって感じた出来事でもありました。

 彼と私は1992年の同期入社で、長男が生まれた際に、彼が1年間の育児休暇を取らせていただいたことは懐かしい思い出です。告別式などでさまざまな方から彼のエピソードをうかがう中で、息子たちは「変人」と思っていた父親が、職場では意外と慕われていた存在だったと感じたようです。自分は父親を超える存在になれるだろうか、と彼らなりに社会人としての生き方を考えるきっかけになったようです。

 また、剛直というイメージで語られることが多い一方で、親しい人には涙もろい一面を見せるなど、家族に見せていた”彼”とまた違う一面に気づかされることもありました。

 単身赴任で離ればなれに暮らすこともあった中で、物理的に一緒に過ごすことだけが”家族”のあり方ではないのではないか。そんな思いが、私の現在のマレーシア生活にもつながっています。

クアラルンプールから直行便で3時間半ほどで行けるインドネシアのコモド島で正月を迎えた筆者。

 人生100年時代といわれるようになり、私はこの先、思いのほか長く一人で生きる可能性もあれば、そうでないかもしれません。特に、親の介護や、自分の健康などを考えると、自由に動ける時期は限られている。もともとマレーシアに来たのもそう考えたことが背景にありましたが、夫を亡くして改めて思うのは、人生、動けるうちにやりたいことをやって生ききりたい、ということです。だからこそ、まずは周囲に迷惑をかけないように健康第一。そして、結婚30周年を一緒に迎えることなく逝ってしまった彼に、「お前だけ楽しんでずるい」と悔しがらせることができたら本望と思っています。

                     (元広告局、大道寺峰子)