2025.08.07
先輩後輩
ムッちゃんが2025年8月4日付毎日新聞の夕刊1面で報じられた。
この話のそもそもは、大阪社会部福井逸治(2018年没77歳)が1977(昭和52)年夏、社会面で「33回忌の夏」を連載したことによる。その際、読者の投稿を呼び掛けた。大分市の防空壕で出会った少女ムッちゃんとの話を寄せたのが、京都在住の中尾町子さん(現86歳)だった。それを紙面で紹介したら、反響を呼んだ。学校の教材となり、平和運動につながっていく。
5年後の82年夏、「ムッちゃん」キャンペーンの広がりを福井は「記者の目」で書いた。すると「ムッちゃんのお地蔵さんをつくって」と小学5学年生の女児から寄金がよせられた。
当然、続報を記事にする。「社会部ムッちゃん係」へ寄付金が殺到した。
福井は、像の制作を京都在住・二科会理事の彫刻家村上炳人(1997年没81歳)に依頼する。ブロンズの「ムッちゃん平和像」は83年、大分市に建てられ、翌84年から「ムッちゃん平和祭」が始まった。一時コロナ禍で中止されていたが、ことし第42回「人権・平和の集い、ムッちゃん平和祭」が7月30日夜、大分市の平和市民公園ワンパク広場で開かれた。
4日付夕刊1面にムッちゃんの記事(77年8月13日大阪夕刊)が再掲されたが、実はあの記事には「健ちゃん」の悲話も掲載されていた。
《少年健ちゃんは、母が食べ物の買出しに出かけた留守に大阪・堺市郊外のキュウリ畑の野井戸に落ちて死んだ。一本のキュウリをつぶれるほど強く握りしめて。少女ムッちゃんは胸を病んで、大分市の防空壕のジメジメした‟部屋“に伏したまま逝った…》。
見出しは「忘れられぬ少年の死 少女の死」「33回忌の夏」である。
福井は、1964(昭和39)年入社。京都大文学部卒。和歌山支局から大阪社会部。街頭班(サツ回り)から他部に転籍することなく府庁キャップ→遊軍キャップ→デスク→編集委員と18年9か月の在籍「不倒距離」記録を持つ。「恐らく今後二度と出ない連続記録を作った」と、大毎社会部100年史『記者たちの森』(2002年4月発行)にある。その後、大阪本社特別報道部長を務めた。
(堤 哲)
=東京毎友会のホームページから2025年8月5日
(トップページ→トピックス)
https://www.maiyukai.com/topics/20250805
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偶然ですが、ムッちゃんの話を寄せた中尾町子さんと私は、京都府木津川市の同じマンションに住んでいます。しかも同じ階段で、中尾さんが5階、私が1階。
顔を合わせるうち、私が毎日新聞に勤めていたことを話すと、「福井逸治さんを知ってる?」と聞くのです。社会部で一緒だったことを告げると、「福井さんに書いてもろたことがあんねん」と言って、ムッちゃんの作者だったことを明かしました。
それ以来、仲良くしてもらっています。今年はアサガオの種をあげ、お互いに咲いた花の数を報告し合っています。中尾さんは京都支局に出入りしていて。毎日新聞とは長~い付き合いのようです。
(元地方部、梶川 伸)