2024.04.20
先輩後輩
伊藤博文、初代総理大臣と同姓同名の記者が毎日新聞にいたのは、ご存知でしょうか。元長野県小川村村長。75歳。時速6㌔の電動カートで移動しているが、元気です。
写真は、白馬で経営していたペンションを閉め、小川村に移住した江成康明さん(75入社、元運動部・長野支局長)宅前で。「夢見る森」は、ペンションの屋号である。
伊藤さんは71年入社。岡山支局→大阪社会部→長野支局。85年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故では、発生翌日にいち早く現場に到着、翌14日付朝刊には早版から【御巣鷹山で伊藤記者】の記事が載った。「次の版では、一緒に現場に登った小島正美(74入社)の名前も入り、最終版では【本社取材団】に変わった、と記憶している」。長野支局(倉嶋康支局長)からは元写真部、武田博仁さん(81入社)も登った。
「現場には1万円札がいっぱい落ちていた。お盆の帰省で、現金を財布に入れていたのでしょう。それを目撃したのですから、現場到着は早かった」
87年退社して、地元長野1区小坂善太郎元外相の二男・小坂憲次秘書。1990年2月、憲次代議士が誕生した。
伊藤さんは長野市内で育ったが、故郷は長野市と白馬村のほぼ中間に位置する小川村。2010年3月の村長選に立候補して、2票差で現職村長を破って当選した。61歳だった。
当日有権者数2680人、投票率90.07%。1202票を獲得した。「疑問票を巡って現職村長が異議を申し立てたが、結果は選管確定どおりだった」
2期目は無投票当選で、村長2期8年。名刺を交換した人は、大概びっくりする。一度で名前を覚えられた。「伊藤の親戚一同が集まると伊藤清正がいる、伊藤信長、秀吉もいるんだ。それに負けまいと、オヤジはオレの名前を付けたと思う」。
その博文さん。今は地元で農業をしている。帰りがけに寄った「道の駅」に孫の手が1本500円で売られていた。「生産者伊藤博文」とあった。
(堤 哲)
=東京毎友会のホームページから2024年4月17日
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