2023.06.25
先輩後輩
振り返れば、気が重い出張だった。2022年2月中旬のことだ。カイロ特派員(当時)の私は東京本社からの指示を受け、エジプトから空路でウクライナの首都キーウへ入った。米国政府からは「ロシアの侵攻近し」の警鐘が日々発せられていた。現地では、祖国防衛を誓う多くのキーウ市民に出会った一方、侵略が本当にあるかについては「情報戦」との見方を語る人も少なくなかった。私は14~17年、ウクライナ東部ドンバス地方での紛争については繰り返し現地取材した経験を持つ。だが、軍事大国のロシアが正面切って攻め込む戦争になった場合、どんな戦禍が引き起こされるのか想像がつかなかった。
率直に言って、戦争の開始を見届けてやろうという「記者魂」より、身の危険に対する恐れが上回った。そして、キーウから西部リビウに移っていた2023年2月24日早朝、ついにロシアの全面侵攻が始まる。幸か不幸か、私はその日のうちに大過なくポーランドへ退避できた。同時に大きな「宿題」を背負った気がした。再びウクライナに入り、戦禍を伝えなければ、ということだ。
22年4月下旬から5月中旬、戦時下のウクライナで取材活動をした。大勢の避難民が暮らすリビウ、人影がまばらになったキーウ、破壊と殺りくのブチャ。前線に近い南部ザポロジエでは激戦地マリウポリから逃げてきた人々に話を聞いた。ブチャで語られた、戦時における蛮行の数々や、ロシアに住む親類との断絶。かたや、マリウポリ避難民は、包囲攻撃による市街地の徹底的な破壊に加え、ロシア軍占領下で現れた親露派住民の存在についても証言した。植民地を手放した戦後の日本では想像しづらいウクライナとロシアの歴史的、地理的な「複雑さ」を背景にしつつ、この戦争は目に見えるもの、見えないものを合わせて、多くを破壊している。
戦争前夜と戦時下のウクライナにおける私の計2回の取材活動は、日本メディアの一員としてはこぢんまりとしたものに過ぎない。ただ、ロシアとウクライナに関してはモスクワ特派員だった13~17年に幅広く取材し、1冊の本(筑摩選書『ルポ プーチンの戦争――「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』)にまとめていた。こちらの続編という位置づけで、書籍として記録に残そうと心を決めた。近年、日本では紛争のルポを本に書く記者は少ない。これだけ大きく報じられ、関連書籍が多数刊行されている今回の戦争についても、現場ルポとなるとほんの数冊しかない。日々のニュースでは報じきれない、一人一人の人生の物語や各地の事情、取材過程もできる限り読者へ伝えることを目指した。願わくば、次にどこかの現場に入る記者の参考にもなればと思っている。
率直に言って、現下のロシア・ウクライナ戦争は、日本のマスメディア各社がこぞって現地取材する最後の戦争になるだろう。今年は米国による03年のイラク戦争開始から20年の節目だが、当時とはメディア環境が決定的に異なっている。既に、ウクライナ現地に常駐している社、時々現地取材している社、ほぼ現地取材しない社、全くしない社――に分かれている。経営体力の差に加え、国際報道に対する力の入れようやリスク感覚の違いも反映されている。残念ながら、各社とも速度に違いはあれど、経営体力は落ちていく一方だ。
この戦争は簡単には終わらない。ウクライナの反転攻勢がロシア軍を全土から追い出すのは容易ではない。特にクリミア半島だ。他方、占領地域が残れば、そこは「次なるロシアの侵略」の橋頭堡となる。また、ブチャの例を見れば分かるように、占領地域が住民にとって安全と考えるのは大きな間違いだ。そもそも、ウクライナ東部ドンバス地方にロシア系住民、ロシア語話者が多いからといって、彼らをひとくくりに親露的と捉える一部の見方は事実を反映していない。複雑さの奥に、もう一つ複雑さがある。ウクライナの紛争、戦争に関する2冊の拙著がこうした深奥の理解の助けとなれば幸いだ。
(真野 森作)
ちくま新書『ルポ プーチンの破滅戦争――ロシアによるウクライナ侵略の記録』は1月刊。定価990円(税込み)
真野森作(まの・しんさく)さんは1979年生まれ、東京都出身。一橋大学法学部卒。2001年、毎日新聞社入社。北海道支社報道部、東京社会部、外信部、ロシア留学を経て、13~17年にモスクワ特派員。大阪経済部などを経て、20年4月~23年3月、カイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当。現在は外信部副部長。単著に『ルポ プーチンの戦争―「皇帝」はなぜウクライナを狙ったのか』(筑摩選書、18年12月刊)、『ポスト・プーチン論序説 「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新社、21年9月刊)がある。
=東京毎友会のホームページから2023年6月13日
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