2022.08.10
先輩後輩
私の生まれ育った町に祇園祭の曳山(ひきやま)が復活した。それも196年ぶりの復興である。23日の宵山、そして24日の巡行。暑い中を歳も顧みず、胸躍らせて町を歩きまわった。
京都の祇園祭には少し説明がいる。この祭りは八坂神社の祭りである。7月17日、神輿渡御の神幸祭に合わせて23基の山鉾が巡行する前祭(さきの祭り)が有名だが、還幸祭の24日にも別の山鉾10基が巡行する後祭(あとの祭り)がある。
巡行するのを山鉾と呼ぶのだが、鉾は車があって曳いて行く。山は原則、人が担いでいく。この山が大型になって発展したのが曳山である。曳山と鉾は見かけは同じである。違いは、屋根を突き抜ける真柱の上に長刀のような金属製の飾り物を付けるのが鉾で、真柱の先が松の若木というのが曳山である。
私の生まれた町は三条通の衣棚町(ころものたなちょう)というが、ここは後祭の区域で、衣棚町には「鷹山」という大きな曳山が応仁の乱以前から存在した。江戸時代の196年前、巡行中に嵐があって部分的に破損して巡行できなくなっていた。その上に、幕末の蛤御門の変(1864年)で京都市内が丸焼けになり、鷹山の骨組みや懸装品なども焼失してしまった。
子どものころ、祇園祭の時期が近づくと、近辺のあちこちの町で祇園囃子の練習が始まる。その音が衣棚町にも届く。羨ましかった。どうしてわが町に鉾がないのか。
それが復興したのである。10年ほど前から町内の動きが高まり、京都市なども支援した。2億円ほどかけて、ようやく初巡行の日を迎えたのである。
23日の宵山には鷹山の前後にたくさんの提灯をぶら下げて飾る。大勢の見物人で鷹山が大人気であった。24日の巡行日は、鷹山が動きだす午前8時まえから、この町にたくさんの人が押しかけ、人並みをわけて歩くのが難しいほどであった。動きだすと人々は拍手を送る。衣棚町の西の端、三条通新町の狭い四つ角で、鷹山は45度方向転換する辻回しである。大きな車の下に割った青竹を敷き詰め、水を撒いて滑りやすくして、無理やりに横に引く。「鷹山」はぐらぐらと揺れる。初めての辻回しを見物人一同、息を詰めて見守る。少しずつ方向が変わり、30分もかけて辻回りが成功した。町中から拍手が沸き起こった。こちらも胸を突き上げる何かを感じたのである。
絶え耐えて 二百年 今鉾囃子
鷹山のよみがえりての 夏日照り
(秋山 哲)
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