2022.04.01
先輩後輩
2023年9月15日に創刊130年を迎える琉球新報。毎日新聞は1972年の施政権返還前から久しく同社と友好関係にある。90年代の半ば、新報側から「紙面づくり向上のため記者派遣を」と申し入れがあった。毎日側も実情を現地で見つめ、沖縄報道に生かしたいと応え、98年9月に記者交流がスタートした。まず整理記者を一人ずつ半年間派遣。東京本社編集制作総センターから軟派デスクの私(菊本)、新報からは整理部主任の新垣順基さん(現琉球新報開発常務)が第1号になった。
当時の新報は夕、朝刊を発行(2009年3月から朝刊統合版)し、原則1版制。朝刊の場
合、デスクはだいたい15時、部員は16時に出勤。編集会議は16時と19時の2回。中面
を中心に22時半ごろから降版し、1面、社会面の最終面が24時ごろだった。
しばらくぶりの面担ということもあり、志願してすべての面を作らせてもらった。編集作業は整理部員が指示し、制作部員が組版端末を操作。見出し、写真類も伝票を出して製版してもらうという整理部員にとっては優雅な時代だった。原稿は自ダネと共同通信。竹橋でいう硬派デスクの総合デスクひとりだけが出勤時から共同原稿の読み込みに汗を流していた。その他の面担は共同原稿の割り振りを待ちながら自ダネが出稿される21時ごろまでは時間をもてあます。
2カ月経ってデスク番入り。高嶺朝一編集局長(のちに代表取締役社長)から紙面づくりで改革提言せよとの指示があった。
① 総合デスクだけでは紙面を見切れないので軟派デスクも置く
② ひとりよがりに陥らず、デスクらと協議し的確な価値判断をする
③ 共同の仮見出しに頼らず、正確、簡潔な見出しを心掛ける
④ 想定される紙面展開から「ダミー版」も準備する
など、竹橋で行っている当たり前のことを提案したら即採用された。
軟派デスクはきめ細かい紙面づくりに寄与し、機動力が増した。ダミー版は事態が弾けた折に威力を発揮し、ライバル・沖縄タイムスを凌駕することもままあった。
95年5月の米兵による女児暴行事件への怒りが冷めやらぬ中、普天間基地返還合意(96年 4月)に伴う辺野古移設問題(日米基本合意=97年1月)が浮上。98年の沖縄にはまたも大波が押し寄せていた。
11月16日付朝刊の知事選紙面は忘れられない。結果は保守系新人の稲嶺恵一氏が現職の大田昌秀氏の3選を阻み、革新県政にピリオドが打たれた。これを境に辺野古移設へ大きくカジを切ることになる。
15日夜の編集局は稲嶺圧勝で熱気に包まれた。16日午前零時過ぎ、朝刊が刷り上がり、担当記者らが上がってきて酒盛りを始めようとした時、一人が叫んだ。「オレの記事がない!」。中面の解説は当然、稲嶺勝ちである。それなのに大田勝ち原稿が紙面化されているではないか。編集局は騒然となり、配送トラックをストップし朝刊全量を回収。至急、記事を入れ替え、刷り直しとなった。
ことの顛末はこうだ。選挙の場合、降版時間を引っ張るため組版しやすいように同じ行数の予定稿を幾通りか準備。勝敗が明確になったら使わない予定稿を削除する。この時、編集者が組版画面のメニュー欄を整理せず、大田勝ち原稿も残っていたのだ。降版寸前にちょっとした直しが入り、小ゲラを出し、校閲もOK。だが、なぜか組み込まれた記事は大田勝ち原稿だった。最終大刷りを出し確認するという基本動作を怠ったままバタバタと降版。これが命取りとなった。
整理記者交流は06年まで続き、高島信雄さん(現中部代表)、斎藤由紀子さん(元編集部長)ら精鋭8人も出向いた。それぞれの沖縄交流はその後の双方の紙面づくりに大いに生かされたと思う。また、新報からの9人は毎日の版次の多さに振り回され、長時間勤務は「地獄」だったのではなかったか。
07年10月からは取材部門に交流のバトンが渡された。新報の松元剛取締役編集局長によると「首相官邸番などを経験した記者らは取材力を磨き、筆力を伸ばした。いまは幹部として沖縄の不条理と戦う紙面づくりをリードしている」。また、毎日からは新聞協会賞を受賞した大治朋子さん(現専門記者)をはじめ政治部の中堅記者が新報記者らと基地問題の深層に切り込んだ。112年 1月から半年派遣された大治さんは普天間基地に隣接する小学校に1カ月通い詰め、教室内の騒音被害、学習妨害の実態を特報。緻密な調査報道手法は新報記者に大きな刺激となった。政治部交流は15年まで続いた。なお、17年に大阪本社からも1人が新報整理に派遣されている。
記者交流がスタートして20年後の18年5月25日。新報新社屋は那覇中心部の泉崎に13年ぶりに里帰りした。落成祝賀会に朝比奈豊会長(当時)、岩松城西部代表(同)とともに私も参加させていただいた。新報でも客員編集委員として活躍する藤原健さん(元大阪編集局長・スポニチ常務)と合流。会場のあちこちで当時の同人らと再会し、記者交流の成果と絆を確かめ合った。
(元編集制作総センター、北海道毎友会・菊本 良治)
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