先輩後輩
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創刊150年記念寄稿 銀座通りの顔だった「東京日日新聞」。明治時代の話です!(堤 哲)

2022.03.06

先輩後輩

 2022年3月2日付朝刊企画特集「時代の扉」広告150年秘史●企業編東京ガス「あかりから熱源へ」で尾張町1丁目1番地(現銀座5丁目)へ引っ越した「日報社」が紹介されている

 上は「派手な花ガス灯の日報社を拝む人たち 月岡芳年画」と百年史にある。下は、銀座通りから見た日報社である。
 この建物は、銀座煉瓦街最大を誇った呉服商「恵比寿屋」が倒産、450坪余の土地ともに1
万5千円で購入した。大蔵省へは3年年賦で、毎年5千円ずつ支払った。
 1876(明治9)年12月31日に移転、翌77 (明治10)年元日付から「東京日日新聞」を発行している。

 《日報社の経営は順調に伸びていった》と百年史にある。
 11か月の編集部給料=福地源一郎250円、岸田吟香1000円、塚原靖80 円、その他 50円給3人、10円給10人、計695円。
 販売収入4200円−諸経費(編集部の給料を含め)1770円=利益 2430円
 《売上利益率5割7分という好採算である》(『毎日新聞百年史』)
 銀座進出が 1874(明治7)年5月だったから、2年半で一等地に進出したことになる。
 有楽町新社屋へ移転するのが1909(明治42 )年3月。
 「東京日日新聞」は明治時代の30年余銀座の顔だった。

                             (堤 哲)