2022.02.10
先輩後輩
今でこそ隆盛を誇るプロフットボールだが、本書が刊行された1960年代、アメリカの人気プロスポーツは大リーグ野球だった。フットボール選手は、柄がでかいばかりで教養とはかけ離れた〝荒くれ者〟というのが一般のイメージだった。ジョージ・プリンプトンは選手経験が全くないにもかかわらず、この世界に飛び込み、練習に汗を流し、寝食を共にすることで、彼らを理解しようとした。シーズン開幕前の数週間、彼はプロチームのトレーニングキャンプに参加し、体験をまとめた。
舞台になったデトロイト・ライオンズはナショナル・フットボールリーグ(NFL)でも古参チームの一つ。ところが、当時から現在まで優勝した経験がない。言わば〝お荷物チーム〟だが、その大雑把さが魅力にもなっているおかしなチームだ。
クォーターバックを志願したのに、プレーを始める時、センターの尻に手をあてがうやり方を知らなかったり、味方選手の速い動きに追いつけず突き飛ばされたりと、プリンプトンの失敗ぶりが笑いを誘う。例えば――
ボールをまたいでじっと待っているセンターのボブ・ウィットローにおずおずと近づいて、出し抜けに口走った。「エー、そのー、コーチ、手をどこに置くのか分からないんです……どこに置けば……」
コーチ全員が集まってきて一緒に教えてくれ、乳を搾られる牛のように不安そうに振り返るウィットローに取り組んだ。
やって見せてくれたのは、右手を上にして、ボールの上にかがみ込んだセンターの尻――医学的に言うと、尾骨のすぐ下の会陰部と骨盤底――にあてがい、センターが正確に手の位置を知ることができるよう、ちょっと力を上に加える。するとセンターはそこを目がけて力一杯ボールを振り出す。クォーターバックの左手は付け根と親指を右手に合わせて蝶つがいの形にし、角度はボールがパシっと当たるように十分広げる。すると、ボールの縫い目は自動的に指の真下に来て、ボールを確保するために左手を添えると、すぐ投げられる態勢になる。……
登場する選手たちも人間性豊かで個性的なところに親しみを覚える。『ペーパー・ライオン』という表題は、プリンプトンが述べているように、毛沢東の「張り子のトラ」からの連想だ。「素顔のライオンズ」と言った方が創作の意図に近いかもしれない。
プリンプトンは〝ニュー・ジャーナリズム〟と呼ばれた文学と報道にまたがる文章手法の担い手の一人だった。『パリス・レビュー』という文芸誌の編集長を務め、スポーツ誌『スポーツ・イラストレーテッド』に寄稿した。『ティファニーで朝食を』『冷血』で知られるトルーマン・カポーティの伝記『トルーマン・カポーティ(上下)』(新潮文庫)のほか、『遠くからきた大リーガー』(文春文庫)などがある。『ペーパー・ライオン』は「小説家の目と手による報道」という〝体験的ジャーナリズム〟の手法によるノンフィクション。従って、ここに描かれているのはあくまでも「人間」であり、フットボールの技術とか戦術とかではない。
訳者が本書に出会ったのは1975年ごろ。神田神保町の東京泰文社という古本屋で見つけたペーパーバックで、刊行から9年がたっていた。ベストセラーになり、映画化されたことを知った。「フットボールについて書かれた、これまでで最高の書」というキャッチフレーズにひかれ、通勤の車内で読み始めた。しかし、辞書を引くこともせず、意味の分かるところを拾っていくという、いいかげんな読み方だったので、本書の精髄をどこまで味わえたか心もとない。その後、リプリント版が出版されたことを知り、改めて読み直したくなった。どうせなら、と辞書を横に置き、日本語に置き換えてみた。プリンプトンの洒脱な文章に導かれて、プロフットボールの世界に触れた気になった。趣味から始まった作業が徐々に進むにつれ、何とか本にできないかという欲が頭をもたげてきた。
プリンプトンはじめ選手やコーチたちの大半がすでにこの世を去った。ずっと年上だと思っていた彼らとあまり差がなかったことに驚かされる。しかし、本書が今なお色あせず、スポーツ文学の「古典」に挙げられる理由は、プリンプトンのユーモアある筆致と選手たちの人間らしさにあるのだろう。プロフットボール人気を高める一助になったという評価もうなずける。日本でも関心が高まってきたフットボールだが、技術書以外の読み物はあまり見かけない。フットボールの面白さを知っていただければ幸いだ。
(松﨑 仁紀)
「ペーパー・ライオン」は同時代社刊、3,000円+税。ISBN 978-4-88683-916-9
松﨑仁紀(まつざき・よしのり)さんは1946年生まれ。1969年毎日新聞社入社。水戸支局、東京本社整理本部、社会部などを経て福島支局長、東京本社編集総センター編集部長、紙面審査委員会副委員長。2003年選択定年。
=東京毎友会のホームページから2022年2月7日
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