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「旧石器遺跡発掘捏造」報道が、ネット上の「FRONTLINE PRESS 調査報道アーカイブス」(10月23日)に=東京毎友会のHPから

2021.11.10

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世紀のスクープ「旧石器遺跡発掘捏造」報道の舞台裏
「旧石器遺跡発掘捏造」報道 毎日新聞(2000年11月)
{ 調査報道アーカイブス No.23}

 平成以降、日本で最もインパクトのあった調査報道は? そう質問されると、毎日新聞の「旧石器遺跡発掘捏造」報道を挙げるメディア関係者は、相当数に達するだろう。

 日本の考古学研究では、前期・中期の旧石器時代は存在しないとされてきた。ところが、その存在を証明する証拠とされた遺物(石器)が1970年代から相次いて発掘された。手掛けたのはアマチュア考古学者の男性。「ゴッドハンド」の異名を持つ彼は、宮城県の座散乱木遺跡、高森遺跡、馬場檀A遺跡、上高森遺跡などで次々と発掘に携わった。その都度、旧石器発見という「大きな成果」が付いて回った。日本人の暮らしの痕跡は、そうした発掘のたびに、より古い時代へとさかのぼり、教科書の記述も次々と更新された。

 これを根底からひっくり返したのが、2000年11月5日の毎日新聞朝刊だった。その後も続いたスクープ報道によると、アマチュア考古学者は旧石器時代とされる遺跡での発掘が始まる前、密かに現場に行き、時代が全く異なる縄文時代の石器を地中に埋め込んだ。そして大勢の関係者が集合して行う発掘の本番作業で、見事に石器を掘り当て、「旧石器時代の石器を発見だ」と成果を誇ったのである。衆人環視下での発掘だから、それを疑う者はまずいなかったのだろう。結局、このアマチュア考古学者による前期・中期旧石器の発掘・発見劇のほとんどは、自作自演の捏造だったことが判明した。

◆世紀のスクープはこうして生まれた

 「世紀のスクープ」とされた調査報道の取材は、毎日新聞北海道支社報道部の記者たちが担った。きっかけはその年の8月25日、北海道の東端・根室通信部の記者から報道部長へのメールだった。「1面トップになるかもしれないネタですが」というタイトルで、「あのアマチュア考古学者による旧石器発掘はインチキ。次々と歴史を振り返るような発見はおかしい。近く道内の新十津川町の遺跡でも発掘するようだから取材したほうがいい」という趣旨である。

 報道部長の肝いりで取材班が結成された。事前に石器を埋める場面を取材するにしても、どうやって動かぬ証拠をつかむか。写真を撮っても、本人に確認取材する必要がある。その際に言い逃れされるかもしれない。それなら、一部始終を動画で撮影したほうがいい。でも、埋める作業が夜間に行われたらどうするのか。そんなカメラがあるのか……。最終的には、決して安くはない赤外線式ビデオカメラを準備した。

 新十津川町は札幌から車で2時間足らずの場所にある。発掘対象は「総進不動坂遺跡」である。

 取材班は8月31日の夜から現場での張り込みを始めた。周囲の状況などから、アマチュア考古学者が来るとしたら午前2時頃だろうと目星を付けたのである。その日は何もなかった。9月の1日も2日も動きはない。現場に近づきすぎてバレたら元も子もない。そうして待ち続けた5日早朝、誰もいない発掘現場で不審な動きを繰り返すアマチュア考古学者の姿を確認した。ところが、動画撮影に失敗してまった。撮影できたのは不鮮明なスチール写真1枚だけだった。

 それでも取材班はめげない。今度は10月、宮城県の上高森遺跡の発掘現場に向かった。雑木林に身を隠し、再び、アマチュア考古学者が現れるのを待つ。そしてついに、彼が石器をあらかじめ地中に埋める自作自演の決定的瞬間をビデオに収めることに成功した。その5日後、アマチュア考古学者が所属する「東北旧石器文化研究所」は、まさにその石器を新たな発見として発表した。

 スクープが紙面を飾る前日の11月4日、取材班キャップは仙台市内のホテルの一室でアマチュア考古学者にビデオ映像を見せ、事実関係はどうかと尋ねた。ビデオの画面には、上高森遺跡で穴を掘り、石器らしいものを埋める本人の姿が映っている10分ほど沈黙した後「魔がさした」と、ねつ造の事実を認めた。

 この報告を受けた11月5日付朝刊は、1面に「旧石器発掘ねつ造」の大きな横見出しを掲げ、アマチュア考古学者が石器を埋めている決定的な写真3枚を載せた。2面と3面、社会面は見開き。写真14枚を使った特集面まで制作し、「世紀のスクープ」を量でも支えた。

 その後は新聞・テレビが入り乱れての報道合戦となり、歴史学者などからは「人類史研究の汚点」といった厳しい声が続出した。

 最終的には、このアマチュア考古学者が関わった遺跡の石器は、すべて自作自演の末の発掘だったことが判明する。文化庁は全国の遺跡を調査。前期旧石器時代の研究は根底から見直しを迫られ、高校の日本史教科書では、2001年4月から上高森遺跡の記述がすべて消えた。多くの遺跡が旧石器時代の埋蔵文化財遺跡としての認定・登録を取り消された。日本考古学協会も後に「長くこの犯行を見逃してきた点に忸怩たる思いがある」と振り返った。

◆「隠し撮り」は適切だったかの議論も

 この調査報道をめぐっては、読者や一部の有識者などが取材手法に疑問を投げかけた。深夜・早朝に張り込んで、密かに動画や写真を撮影する行為は「隠し撮り」であり、プライバシーの侵害ではないか、という疑問だ。

 一報から間もない2000年12月5日に掲載された毎日新聞の「開かれた新聞」委員会の報告によると、「隠し撮りは卑劣だ」「本人に承諾なしで盗撮はよくない」「毎日新聞の取材方法はスパイの探知方法そのもの」「家族や関係者が受ける苦痛を思うと、写真掲載は拷問(=人権侵害)だ」といった苦情や批判が寄せられたという。

 これに対し、編集局次長は同じ紙面で「取材に際しては不法などと批判されない方法を採用しました」と指摘。そのうえで「社会の正当な関心事とは言えない事柄について私的空間などで盗撮をして問題になるようなケースとは全く異なります」「写真を多用して報道することにしたのは、そこに撮られた様子がまさに人類史を『ねつ造』した歴史的瞬間と位置付けられるべきものと判断したからです」とし、公益性の観点からも適切だったと結論付けている。実際、関係機関や多くの読者は一連の報道を高く評価していた。

※筆者は、ジャーナリスト、フリー記者、本間誠也さん。新潟県生まれ。北海道新聞記者を経て、フリー記者に。原文は、調査報道アーカイブス
※この事件の取材については、NHK・BSプレミアム『アナザーストーリーズ』が2020年9月15日、スクープの顛末を取り上げた機会に、取材班キャップだった山田寿彦・元北海道支社報道部副部長にレポートを書いていただきました(2020年9月21日、トピックス)。

=東京毎友会のホームページから2021年10月25日

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