2021.07.15
先輩後輩
韓国に赴任して4年目を迎えた2016年6月のことだった。それより半年前に日韓両政府は慰安婦問題で電撃的な合意を果たしたものの、韓国国内では合意への批判が高まっていた。両国関係の取材に疲れを感じていたところ、ある雑誌の記事が目に入った。
「李仲燮は歴史となって久しいが、夫人は現在を生きていた」
韓国大手紙・朝鮮日報系の「週刊朝鮮」に掲載された日本人女性のインタビューだった。夫は韓国の国民的画家といわれる李仲燮(イ・ジュンソプ)で、半世紀以上前の1956年、39歳で夭折した。妻の山本方子さんは当時95歳とある。この年6月に朝鮮日報などが主催して開かれた李仲燮生誕100周年記念の展覧会を前にした特集だった。
東京の自宅のダイニングで語る写真や、B5サイズで6ページに及ぶ記事の内容から、長時間の取材に応じたようだった。この女性に会ってみたい。そんな思いに突き動かされた。展覧会場はソウル支局から徒歩5分の国立現代美術館だった。早速、支局のスタッフとともに美術館へ足を運んだ。
美術は子供の頃から最も苦手な科目で、美術館などほとんど行ったこともなかった。二重、三重の人だかりができる油絵の価値は正直なところ、よく分からなかった。
夫婦の世界に引き込まれたのは、李仲燮が方子さんにあてた日本語の手紙を読んだ時だった。平仮名とカタカナ、漢字で書かれた数々の便りは、日本統治時代に日本語教育を受けたことを十分うかがわせた。ただ、どこかつたなさが残っていた。韓国語で微妙な感情表現をすることの難しさを日々感じていた私は、2人がどんな時を刻んだのか、もっと取材を深めたいと強く感じた。
2人が出会ったのは日中戦争開戦から2年後の1939年、日本統治時代の東京だった。一流の芸術学校だった文化学院で愛を育み、日本の敗戦直前の1945年春、方子さんは単身、玄界灘を渡って元山の李仲燮のもとへ嫁ぐ。5年後に朝鮮戦争が勃発すると、戦火を逃れて韓国へ避難するものの、極度の栄養失調に襲われた。方子さんは幼い2人の息子を連れて、一時東京へ帰郷する。
一家の再会を阻んだのは、日韓の断絶だった。家族4人でまた暮らすという望みを絶たれた李仲燮は絶望し、長年のアルコールによるものか、肝臓をやられて一人、静かに息を引き取る。
こうした悲劇的な物語が映し出されている数々の作品が、韓国では絶大な人気を誇っている。ところが日本ではほとんど知られていない。そこで毎日新聞本紙の長文ルポ「ストーリー」で掲載することにした。掲載直前に朴槿恵大統領(当時)の弾劾を求めるうねりが激しくなり、掲載日の1面トップは弾劾もの、その下にストーリーの記事が掲載されるというタイミングに恵まれた。
その記事を見て、出版社から打診があったのは1カ月後のことだった。面識のなかった編集者からのメールは、大変光栄だった。特派員として数年にわたって駐在するのだから、本の一冊くらい出さなきゃだめだ。そう先輩記者から送り出されていたこともあり、そろそろ何かテーマを決めなければならないとちょうど考えていた時期だった。
弾劾や大統領選、新政権発足など日々の業務に追われ、すぐには着手できないことを伝えると、編集者は私のペースで進めてくれればよいと理解を示してくれた。この日から、「ついに本を書けるのだ」というわくわくした気持ちとプレッシャーが入り混じった生活が始まった。
いざ取りかかってみると、さまざまな壁にぶつかった。当時を知る関係者はほとんど鬼籍に入っている。李仲燮の友人たちが残した1960年代以降の回想録などを片っ端から入手したものの、北朝鮮から韓国へ逃げてきた人々の証言は反共的な部分が誇張されがちだ。それをどこまで差し引いて読めばいいのか判断が難しかった。
方子さんへの取材は3度にわたって実現した。ただ、1度目の2016年は2時間余りに及んだが、3回目の2019年は45分ほどで切り上げざるを得なかった。記憶の薄れや体力の低下は明らかだった。
ノンフィクションと新聞記事の書き方の違いにも苦労した。恐る恐る初稿を編集者に送ると、「一度新聞記事の書き方は忘れて下さい」と真っ赤に添削されたファイルが返送されてきた。指摘されてみると、紙面の都合でやむを得ないとはいえ、新聞記事がいかに体言止めを多用しているか、気がつかされた。日本語の勉強も一からやり直しとなり、多忙を理由に筆が止まってしまう日々が続いた。気がつけば、初めて美術館に足を運んでから5年の歳月が過ぎていた。
何度も挫折しそうになりながら、何とか仕上げることができたのは、2人の物語を日本でも伝えたいという信念のようなものがあったからだ。「子育てをしながら単著を出せたというモデルケースにしましょう」と、自身も子育てに追われる編集者が辛抱強く待ってくれたことも大きかった。
難しい日韓関係を支えているのは、政治家や外交官だけではない。人と人の心が通じ合っていれば、民族や国家といった難しい問題を乗り越えることができる。夫婦への取材を通じて、私はそう教えられた。コロナ禍で家族ですら自由に会えなくなってしまった今、拙著を通じて心の触れ合いの大切さを改めて感じてもらえれば幸いである。
※大貫智子さんは1975年、神奈川県生まれ。早稲田大政治経済学部卒。2000年毎日新聞社入社。13~18年ソウル特派員。12年と16年に訪朝し、元山や咸興、清津など地方も取材した。論説委員、外信部副部長を経て21年4月から政治部で主に日本外交を担当している。
この作品で第27回小学館ノンフィクション大賞受賞。
《小学館のプレスリリース(抜粋)》
【推薦コメント】
この作品を通じて彼という画家の存在を多くの人たちに知ってほしいと純粋に願う――辻村深月(作家)
太く短く生きた情熱的な画家と、日々を懸命に生きた寡黙な妻。その非対称性が胸に迫り、日韓の微妙な関係 性まで映し出しているように思えた――星野博美(ノンフィクション作家)
朝鮮戦争時に、家族に怒濤の勢いで押し寄せてくる歴史の荒波が、あたかもそこにいるかのような臨場感で迫 ってくる――白石和彌(映画監督)
【内容についてのお問合せ】
小学館 出版局文芸編集室 柏原航輔
電話 03(3230)5959 kashiwa@mai.shogakukan.co.jp
2021年6月26日発売 定価:1800円+税 四六判384ページ
※著書に関する韓国大使館のユーチューブ
https://www.youtube.com/watch?v=-5MNhNBs-8g
=東京毎友会のホームページから2021年7月8日
(トップページ→新刊紹介)
最近の投稿
2024.10.27
元外信部、経済部の嶌信彦さんが『私のジャーナリスト人生 記者60年、世界と日本の現場をえぐる』を刊行=東京毎友会のHPから
2024.09.18
新刊紹介 71入社、元長野支局員で元村長・伊藤博文さんが『あの世適齢期』を刊行=東京毎友会のHPから
2024.09.09
新刊紹介 95歳、元気でコラム執筆の元エコノミスト編集長、碓井彊さんが「日本経済点描 続々編」刊行≒東京毎友会のHPから
2024.08.22
新刊紹介 『未来への遺言 いま戦争を語らなきゃいけない』を前田浩智主筆、砂間裕之取締役が共著で=「日本記者クラブ会報」マイBOOK、マイPR転載(東京毎友会のHPから)