先輩後輩
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環境ジャーナリスト、川名英之さん(85)が、36冊目の著書「社会問題に挑んだ人々」=東京毎友会のHPから

2021.05.20

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「社会問題い挑んだ人々」

 この新著を紹介するのに、最も適切な文章が、本人執筆の「あとがき」冒頭にある。

 ――これまで37年間、世界や日本の政治・社会との絡みで環境問題や核兵器など様々な社会問題の歩みを35冊の本に書いてきた。代表的なものが、『ドキュメント日本の公害』(全13巻)、『世界の環境問題』(全11巻)、『核の時代70年』の三つ。これらの本を書くための調査と取材の過程で、その生き方に感銘を受けた、社会問題に挑んだ人びとが少なからずいた。この人たちの中から何人かを選んで評伝を書いてみたいという思いが、人生の終盤になってやっと実現した。これこそ、私のライフワークである――

 川名さんは、毎日新聞入社後、1963~1964年、ウイーン大学へ文部省交換留学。社会部に所属し、環境庁(現在は環境省)を7年余、担当、7代の環境庁長官の仕事ぶりを報道してきた。この期間を含め一貫して環境問題に取り組み、1985年に編集委員、90年に定年退職した。これまで35冊の著作は、40年間の積み重ねであり、永年、志を維持し執筆を継続してきた先輩記者から「新刊紹介」を要請されたことは、光栄なことと受け止めている。

 私が知っている川名さんは、東京都江東区にあった日本化学工業による「六価クロム公害」を徹底的に取材する姿だった。浅草にあった東支局に所属していた頃、市民運動団体の告発で、宅地造成などに提供された六価クロム鉱滓が土壌汚染を引き起こしていることを知り、継続して取材、報道を重ねていた。土壌汚染の問題だけでなく、従業員にがんなどの職業病が発生していることが明らかになり、職業病裁判に発展し、労働者側の勝訴判決となった。川名さんは「私は1975年の夏中、クロム鉱滓投棄の実態を丹念に報道し続けました」と振り返り、私も汚染現場を取材する記者としての活動を記憶している。従業員の一部は、鼻の隔壁に穴が開く(鼻中隔穿孔)という悲惨な健康被害も受けていた。

 当時、美濃部都政だった東京都では、公害局の田尻宗昭規制部長が指揮してこの問題に取り組んだ。田尻さんは伊勢湾・四日市沿岸海域の公害取り締まりに当たる「海のGメン」としての実績を買われて、海上保安庁から東京都にスカウトされた。新聞社にとって公害は大きな取材テーマだったが、六価クロムにこれだけこだわった記者は、川名さん以外に思い浮かばない。その成果は著書『ドキュメント クロム公害事件』(1983年、緑風出版)にまとめられている。

 今回の新著は、「あとがき」で川名さんが触れているように、高い志をもって、その困難な道を切り拓き、その「声」が人々の心に響き、現実を動かした18人の軌跡を辿る。「感染症・医療」「地球温暖化・植樹運動」「環境汚染・公害」「核兵器」「難民・人種差別・分断」の5章に分けて、評伝が綴られている。

 最初に登場するのは、新型コロナウイルスの発生をめぐって、早期に告発の声を上げながら弾圧された武漢の李文亮医師。ペストの猛威と闘った北里柴三郎、医療看護を改革したナイチンゲールが登場する。

 「地球温暖化」などのテーマでは、砂漠に水を引き、飢餓を防いだ中村哲医師、グリーンベルト運動に尽力したワーガリ・マータイ、十六歳少女グレタの類い稀な温暖化防止キャンペーンを取り上げている。以下名前だけをあげると、レイチェル・カーソン、アル・ゴア、水俣病を追求した石牟礼道子と細川一医師、放射線医師永井隆、湯川秀樹、杉原千畝、緒方貞子、キング牧師、フューラー牧師。ベートーヴェン不朽の名作「第九・合唱」の誕生も取り上げられている。

 「より住みよい社会を創るために」と題した終章では、賀川豊彦、宮沢賢治に言及している。全編を通じて「より住みよい地球社会の建設を目指そう」という川名さんの願いが込められている。

                           (高尾 義彦)

『社会問題に挑んだ人々』 花伝社、定価2200円(税込)
ISBN978-4-7634-0961-4  2021年4月5日発行

=東京毎友会のホームページから(2021年5月17日)

(トプページ→新刊紹介)

https://www.maiyukai.com/book#20210517