先輩後輩
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滋賀の都よ、いざさらば 毎日マラソン、大阪に里帰り(長岡 民男)=東京毎友会のHPから

2021.02.04

先輩後輩

 敗戦から1年2ヵ月後の1948年10月10日、第一回を開いた毎日マラソンは、現存する日本最古のマラソン大会である。初期の16年間は大阪で行われたが、「故あって」琵琶湖畔にコースを移した。それがまた今年限りで60年ぶりに大阪に戻る。

 「故あって」とは、大阪開催続行が不可能になるアクシデントがあったからだ。

 1961年6月23日、第16回大会は前年のローマ・オリンピックで優勝したアベベ・ビキラ(エチオピア)を招き、大阪の浜寺公演を発着する国道26号線で行われた。ローマで靴をはかずに完走し、「ハダシのアベベ」の異名とどろく主賓は仲間のワミ・ビラツとともに来日し、今度は日本のメーカーから贈られたシューズで走った。

 午後3時スタートというのに、沿道は午前中から集まった群衆であふれ返った。歩道からコースにはみ出し、これで選手が走れるのか、と危ぶまれる中、号砲が鳴った。

 気象条件は高温多湿。それだけでも選手は苦しいのに、思いもかけぬ観衆の妨害が起こった。コースに侵入するどころか、自転車やオートバイでアベベに近付き、取り囲む。握手を求め、背中に触れ、中には手帖を差し出してサインを求めたり……。アベベは見向きもしないが、立ち止まることしばしば。それでも何とかゴールにたどり着き、2位のワミを10分以上離す2時間29分47秒で完勝した。まともに走っていれば、2時間110分を軽く切っていただろう。

見物のバイクに囲まれて走るアベベ

 

 異様なレースには大きな罰点が付いた。警備に当たった大阪府警の怒りを買い、「今後、大阪でロードレースは一切認めない」と追放を申し渡された。主催している毎日新聞社は返す言葉もない。どこかに新しいコースを探さなければならない。手を尽くした末、何とか行き着いたところは琵琶湖畔。大津市の皇子山陸上競技場をスタートし、近江神宮前を経て志賀町を折り返す湖岸の新しい舞台に決まった。のちに琵琶湖大橋の完成によって、西岸の競技場から東岸にわたり折り返すコースとなった。大会の名称も「びわ湖毎日マラソン」となり、昭和―平成―令和をつないだ。

 2年後に東京オリンピックが迫っていた。琵琶湖畔に移ったばかりのレースはすぐ東京へ。競技運営、選手に本番コースをなじませること、報道……円満に世紀のレースを運ぶための配慮だった。本番イヤー(1964年)は代表選考レースとなり、円谷幸吉、君原健二、寺沢徹の3人が代表に決まった。

 役目を果たした毎日マラソンは翌年、滋賀に戻る。そしてアベベがまたやって来た。オリンピック二連覇の栄光に輝いての再来だ。大阪で混乱を招いただけに運営サイドはことのほか気を遣い、混乱もなくアベベはまた2位を4分近く離す完勝だった。

 マラソン界に新時代が訪れる。女子の登場である。1982年1月24日、長居競技場を起点とする大阪女子マラソンは、豊臣秀吉築城400年を記念して「太閤はんの街」を走るのだ。イタリアのリタ・マルシチオが2時間52分55秒で優勝したが、21年前、「大阪で二度とマラソンはやらせない」と毎日マラソンを追放した警察は、今度はどう対応したのか。当時とは人も変わっていたにしても、これは時効と考えたほうがよさそうだ。

 この時、日本選手は誰ひとり10位にも入れなかったが、2年後には増田明美がロサンゼルス・オリンピック代表選考会を兼ねたレースで2位(2時間32分05秒)となり、代表に選ばれた。日本の女子マラソンの開拓者・増田の忘れられないレースである。

 そのころ大阪では一般市民が走る市民マラソンも始まり、やがてびわ湖毎日と統合する構想が浮かんだ。実現すれば湖畔から大阪復帰がかなえられる。

 2020年暮、大阪マラソン組織委員会が動き出した。市民マラソンは大阪府庁前をスタートし、御堂筋、なにわ筋、千日前通、今里筋……と市街を貫くメインストリートを3万6千人が駆け抜け、大阪城公園のゴールに至る。大阪をアピールするのにこの上ない舞台だ。

 今後の日程は2月28日に開かれる第76回大会(初期の国道26号線時代通算)を湖畔の最後のレースとして、来年、大阪に里帰りする。すでに帰阪第1回の開催日も来年の2月27日と決まっており、準備は着々と進んでいる。

 気にかかるのは、大阪から追放されて行く宛てのなくなった毎日マラソンを受け入れてくれた滋賀県、大津市当局、住民のみなさんが、移動を快く受け入れてくれるか、どうか。

 「伝統があり、県民が親しんできたマラソンが無くなってしまうとは」「このまま続くと思っていたのに残念」。湖畔から聞こえてくる声には淋しさがこもる。もちろん、大阪側は滋賀サイドに礼を尽くして了解を得た。

 こうして琵琶湖の春を彩ってきた毎日マラソンは、今年を最後に生まれ故郷に帰って行く。

                              (元大阪本社運動部 長岡 民男)

※長岡さんは昭和33年、和歌山支局から大阪運動部へ。陸上競技を中心に20数年、スポーツ取材を続け、50歳で繰り上げ定年。びわ湖マラソンは、アベベが走ったレースなども取材。自分でも中距離ランナーとして「駆けっこ大好き」と。89歳。

=東京毎友会のホームページから2021年2月1日

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