2020.11.13
先輩後輩
横浜南部の洋光台に住んで40年余り。4年前に妻に先立たれてからは、一人暮らしを続けて来ました。2020年1月に91歳を迎え、去年のイタリア旅行に次いで、今年も春に合唱仲間の一人とニューヨークへオペラを見に行く予定だったのですが、コロナ騒ぎで流れてしまい、逼塞しているところへ、東京の鉄砲洲に住む長男から「隣りに新しくマンションが建つので、来ないか?」との誘い。<老いては子に従え>という諺もあり、『スープの冷めぬ距離』に住むことに決断をした次第です。
毎日新聞では、初任地の徳島支局を皮切りに、大阪、東京、京都など12回の転勤をしましたが、これまでは家財道具一切と一緒に引っ越しを繰り返していたのが、今度だけは5LDKの一戸建てから、1DKの小マンションに移るので、家財道具の大処分が必要です。
先ず取り掛かったのが、家内が残していった膨大な資料です。と申しますのは、長女が昔通った東京女子大付属幼稚園の母親たち七人と、日本、イギリス、ドイツ三国が第二次大戦中行った学童疎開を比較、研究し、30年近く前「切り取られた時」(京都・阿吽社刊)という本にしたのですが、その膨大な資料・写真を残していたのです。
その次に、家内の亡父(経済学者)が残していった著作(イングランド銀行史)の、これも大量の原稿の山などとの格闘です。我々夫婦の本や雑誌は2軒の古書店とBook off に引き取ってもらい、最後に残った家財、衣類の山は大部分を破棄しました。
私の荷物は中型トラック1台で済みましたが、残りの家財は中型トラック3台が処分場に運ぶのに3往復。朝の9時から、夜の7時過ぎまでみっちり掛かってやっと、という始末でした。
「これも一種の ”終活”」と割り切って、何とか切り抜けましたが、これまで経験したことのない難事業でした。とりわけ苦労したのが、写真・アルバム類の整理です。驚いたのは新聞社時代の写真の中で、飲み屋やパーティーの写真がどれだけ多かったか!!改めて脱帽(?)した次第です。
引っ越し先の東京都中央区湊1丁目は、地下鉄日比谷線八丁堀駅から、歩いて10分ほど。銀座一帯までの広い地域に氏子を持つ鉄砲洲稲荷神社(昔の湊神社)のすぐそば。小さなマンション4階のベランダからは、隅田川が目の下に。対岸の佃島の高層マンション群が川越しに眺められます。(歌川広重が描く江戸百景の「湊神社」と、わが家のベランダから「隅田川をへだてた佃島」の写真を添付します。)
佃島には高尾義彦さん、さらに向こうの月島には堤哲さんという社会部OBが住まれ、今は亡き岩崎繁夫さんも対岸の月島に住んでおられたことなども思い返し、懐旧の念を新たにしているところです。
昨年末、車の運転をやめてから、電動補助機付きの自転車を愛用していますが、都内を自転車で走るのは、思いのほかに便利で楽。「転んだらお終い」と自分に言い聞かせて、近隣を走っています。
時々、検診を受けている聖路加国際病院や福澤諭吉が幕末に開いた慶應義塾発祥の地、赤穂四十七士ゆかりの播州浅野藩屋敷跡などもすぐ近くにあり、暇に任せて探訪をし始めたところです。
先日、日本記者クラブで高尾さんにお会いした時、佃島から日比谷まで自転車で来られていると聞き、私もそのうち・・・などと考えているところです。
(磯貝 喜兵衛)
=東京毎友会のホームページから(2020年11月4日)
(東京毎友会→元気で~す)
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