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金大中事件がライフワークの古野喜政さん(東京毎友会のHPから)

2020.08.30

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 西のヤマソウ(山崎宗次)と呼ばれた大阪社会部のやり手記者だった古野喜政さん(84歳)。2001年8月に日本ユニセフ協会大阪支部(現大阪ユニセフ協会)を立ち上げ、副会長を務める。足掛け20年である。 会報「ユニセフ大阪通信」第79号(2020年8月15日号)にこんな記事が載っていた。

ユニセフ大阪通信第79号(20202年8月15日号)4ページ
古野喜政治さん

 大阪社会部時代、古野さんに大阪府警担当に引っ張り込まれた。

 古野キャップ以下7人。捜査二課担当が鳥越俊太郎。私がそのカバーで捜査三課・四課担当だった。サブキャップ佐藤茂(1970年植村直己らがエベレストに登頂した登山隊に同行、故人)、捜査一課・藤田昭彦、神谷周孝、防犯・交通・藤田健次郎。

 土曜日の午後、府警ボックスでカンテキ(七輪)を使って焼肉をよくやった。ニオイが府警中にわたって文句をいわれたこともあった。いい時代だった。

 古野さんは小倉高校から京大法学部、猪木正道ゼミだった。60年入社。大津支局から大阪社会部。口八丁手八丁の事件記者だった。

 府警キャップ時代からハングルを勉強、1973年(昭和48年)3月~76年3月ソウル特派員。金大中事件、文世光事件などに遭遇。大阪社会部時代に培った事件取材をソウルでもいかんなく発揮した。

 「金大中さんに最も近かった日本人記者は僕とちゃうかな」という。

 1981年に『韓国現代史メモ:1973-76わたしの内なる金大中事件』(幻想社)、退職後『金大中事件の政治決着:主権放棄した日本政府』(東方出版2007年刊)、『金大中事件最後のスクープ』(2010年5月刊)を出版した。金大中事件はライフワークなのである。

 大阪本社社会部長時代はグリコ・森永事件。同本社編集局長、常務取締役西部本社代表からスポーツニッポン大阪本社専務。

(堤 哲)=東京毎友会のホームページから

(東京毎友会→トピックス)

https://maiyukai.com/topics#20200902