2026.03.05
閑・感・観~寄稿コーナー~
滋賀県大津市の南西部、比叡山延暦寺の麓に広がる日吉台住宅地で、住民に配布されているコミュニティ紙「日吉台新聞」。取材から執筆、編集、印刷まで、すべてをボランティアで担いながら、気がつけば発行から10年が経過した。
日吉台住宅地は、全国山王神社の総本宮として知られる日吉大社の門前町・坂本地区に隣接し、昭和期に開発されたニュータウンである。現在は約1700世帯、3600人が暮らし、市内でも高齢化が進む地域となっている。
私は長浜通信部を68歳で退職し、長い単身生活に区切りをつけ、終の棲家を求めて日吉台に移り住んだ。地域の事情も知人もほとんどいないまま、乞われるままに自治会役員を務め、やがて日吉台学区自治連合会長に就任した。今振り返れば「よく引き受けたものだ」と思うほどの無謀さだった。

◎創刊の背景
日吉台新聞は、2016年1月創刊、毎月1日発行、A3判両面刷り。1面は、自治連合会や自治会、大津市行政の動きなどを伝える硬派面、2面は学区内のイベント、行事、日吉台小の子供たちの活動などを紹介する軟派のニュース。1400部印刷、自治会を通じて各世帯に無料配布、学区ホームページにも掲載し、大津市の主要部署にも届けている。
創刊のきっかけは、自治会に関わり始めた頃の問題意識だった。当時、住民への情報伝達は回覧板が中心だったが、ほとんど読まれず、高齢化が進む地域ではインターネットにも触れられない人が多い。「紙のニュースなら読んでもらえるのではないか」。そう考え、市販の編集ソフトを購入して試作紙面を作り、自治連合会に提案。用紙代と印刷費を自治連合会が負担することで、発行が実現した。

◎一人編集部の10年
毎月、翌月号の構成を考え、どのニュースを1面のトップに置くかを決める作業は、記者時代と変わらない。編集部を組織する構想もあったが、スタッフは集まらず、結局すべてを一人で担うことになった。創刊当初、最も苦労したのは紙面編集だった。地方記者として取材、執筆は長かったが、紙面制作の経験はない。支局での紙面チェックの記憶を頼りに、試行錯誤を重ねた。1面を作るのに2〜3日かかることも珍しくなかった。今、当時の紙面を見返すと、素人臭さがにじみ出ていて「恥ずかしい」。しかし、その苦労も今では懐かしい思い出である。
◎二束のわらじと住民の声
大津市の行政事務を補助する学区自治連合会長、充て職もかなりありけっこう忙しい。小学校の入学式や卒業式には来賓として出席しながら、式辞の様子をメモし、写真を撮る。まさに二束のわらじだが、「学区の様子がよくわかる」「まちの動きが見える」と住民から声をかけてもらえることが励みになっている。2026年4月で83歳を迎える。後継者がいないこともあり、10年を節目に新聞づくりを終えることも考えた。しかし、周囲からは継続を望む声が強い。生涯一地方記者として歩んできた私にとって、日吉台新聞はその集大成でもある。
(元長浜通信部、野々口 義信)
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