閑・感・観~寄稿コーナー~
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ぶどうに魅せられて(増田 耕一)

2024.03.06

閑・感・観~寄稿コーナー~

 退職後の2020年5月、東京から長野県南部の飯田市に移住し、醸造用ぶどうと生食ぶどう栽培に取り組んでいる。若いころは、新聞記者と全く無縁の農業をやるなど想像もしていなかったが、ぶどう栽培は面白くて奥が深く、やりがいのある充実した日々を送っている。

1、ワイン好きが高じて

 ぶどうとの付き合いは、もともとワインから始まった。

 若いころからよくワインを飲んでいたが、大阪から東京に転勤した後の2008年に田崎真也さんの主宰するワインスクールに通い始めた。基本からワインのことを知りたいと思ったのと、日本ソムリエ協会の認定するワインエキスパートという資格を取得するためだった。

 ワインエキスパートは素人が取得できるソムリエ資格で、スクールで何人か気の合う仲間と知り合った。そのうちの1人から「山梨県のワイナリーが、素人でも参加できるワイン用ぶどうの栽培教室を開いているので参加してみないか」と誘われた。

 山梨県北杜市に圃場を持つ中堅ワイナリー「グレイスワイナリー(中央葡萄酒)」で、国際的なコンクールで何度も上位入賞を果たしている。それまで農業には全く興味も関心もなかったが、いいワインを入手できるのではという下心もあって一緒に行くことにした。

 「グレイス栽培クラブ」という名称で、年間を通して栽培に取り組んでいた。5月から翌年の4月までがワンクールで、月1、2回通って栽培のイロハを教わりながら、実際に自分でも栽培に携わるというものだった。広い圃場の一角が栽培クラブ専用の区画で、そのエリアのぶどうについては責任を持って育てることになっていた。

 主宰者はグレイスワイナリーの元栽培責任者で、団塊世代の元中核派活動家という異色の経歴の持ち主だった。その彼の面白さと、何よりぶどう栽培の奥深さに目覚めてのめり込んでしまい、月数回、週末に約10年通うことになった。会社生活とは別の楽しみがあり、また同好の仲間にも出会えて楽しい時間を過ごすことができた。

2、新たな道

 一方で、会社人生も終わりが見えてきて、退職後どうするかと考えた時、自然と栽培クラブでのぶどう栽培が頭に浮かんだ。当分、元気で過ごせそうなので、新たな分野へのチャレンジも悪くないだろう。全く具体的なプランはなかったが、ぼんやりと山梨か長野あたりでワイン用のぶどうを栽培できたらいいなと思い始めていた。

 たまたま2019年秋、よくワインを購入していた名古屋のワインインポーターから「相談がある」と連絡があった。東京で会って話を聞いてみると、彼も30年以上フランスワインを輸入してきたが、自分でワインを作りたくなったという。何年か前から圃場の候補地を探していたが、長野県飯田市に適地が見つかったので近くワイナリーを作るという。私への相談はワイナリー運営会社に出資をしてほしいということだった。

 渡りに船で、トントン拍子に話が進み、栽培クラブの仲間3人にも声をかけて出資することにした。私は出資だけでなく、新会社の代表兼栽培責任者として移住することにし、20年5月飯田に移って家を新築した。移る直前に圃場に苗を植え付け、6月からは妻と一緒にほぼ毎日畑に通い、ぶどうの世話を続けた。

 醸造設備をフルに備えたワイナリーを作るには億単位の金がかかる。彼は自分の思い描く理想の設備を最初から揃えることにこだわった。出資金だけでは不足するので、彼には別に資金の目処があるだろうと思っていたが、関係者で議論したところ、はっきりした資金の当てはないことが分かった。私と栽培クラブの仲間は「計画を縮小しなくては仕方ない」と主張したが、彼は「それならやる意味はない」となり、議論は平行線となった。

 結局、私たちは21年4月で会社から抜けることにし、「自分たちで別の畑を借りてワイン用ぶどうを栽培しよう」と意見が一致した。彼はその後、パトロンを見つけて、思い通りのワイナリーを作って、昨年からワインを出荷し始めている。もともと彼とは考え方もぶどう栽培への取り組み方も我々とは違ったので、結果としては良かったのかなと思っている。

春先に“完全防備”で農薬散布

3、生食ぶどうも

 私と妻、栽培クラブの仲間3人の計5人で新たに会社を設立し、南信州でワイン用ぶどうの栽培を始めることになった。圃場は私が探すことになり、飯田市や近隣の町役場の農業担当部署を訪ね歩いた。空いている農地に案内してもらい、見て回ったが、南信州は南アルプスと中央アルプスの谷間で狭い畑が多く、なかなか希望の広い畑は見つからなかった。

 そうこうしているうちに、飯田市の北隣の高森町にワイン用には狭いが眺望がよく、ぶどう栽培に適した畑があった。妻と相談して会社とは別に、自分たちで生食ぶどうもやってみることにした。

 ワイン用と生食では樹の仕立て方から始まって栽培方法もかなり違うが、同じぶどうなので何とかなるだろうという気持ちだった。さらに言うと、ワイン用のぶどうの圃場が見つかっても、本格的な栽培作業は2年後からになるので、暇を持て余すだろうということも理由の一つだった。

 21年の11月から荒れ放題になっていた畑を整備して、22年3月に苗木を仮植えした。植えたのはシャインマスカットと、長野県が開発した紅色で皮ごと食べられるクイーンルージュという品種だ。だが、生食ぶどうも植え付けてから樹が成長して収穫できるまでに3年はかかるので、こちらも気の長い話ではあった。

5月下旬にまだ小さい房の整形作業を行う

4、新たな畑で

 畑探しで伝手(つて)ができたおかげで、その後、周辺の町から「担い手が隠居したのだが、畑を引き継いでくれないかと」いう依頼が頻繁に来るようになった。それらの畑を見て回り、すぐ収穫できる状態の畑を新たに2カ所借りた。植っていたのはシャインマスカット、クイーンルージュのほか、やはり長野県で開発した皮ごと食べられる黒ぶどうのナガノパープルと巨峰だ。

 23年春、新たな2カ所の畑で生食ぶどうの本格的な栽培がスタートした。ぶどうの基本的な成長サイクルや生理はワイン用と同じだが、仕立て方が大きく違うし、病気や害虫に対する防除の考え方なども異なる。従って、初心者の私たちは全面的にJA(農協)頼りだ。

 年間数回、栽培の節目にポイントを絞った栽培指導会を開いてくれる。また、頼めば営農指導員が畑まで来て手取り足取り教えてくれる。彼らの言う通りやっていれば、何とかなるのだ。また、高森町でぶどう栽培している農家で「ぶどう部会」を組織しているので、ぶどう栽培の先輩たちとも知り合い、いろいろ教えてもらうことができる。

 栽培で一番大変なのは防除と草刈りだ。防除は病気と害虫対策で、4月から9月にかけてほぼ2週間から20日に1回、農薬を散布する。1つの畑に1回あたり350ℓぐらいで、エンジン式の動力噴霧器に100mのホースを繋いで端から樹に次々と散布していく。1つの畑でほぼ1時間はかかる。農薬を体に浴びないようにレインコートにゴーグル、マスク、厚いゴム手袋姿の完全防備。初夏から真夏なので、とにかく暑い。早朝5時台から作業を始めるが、終わると汗だらけだ。

 この作業は重労働なので、昨秋乗用タイプのスピードスプレイヤー(SS)という機械を購入した。500ℓの容量で、走行しながら後部から薬剤を噴霧してくれ、作業時間が大幅に短縮できる。

 草刈りは当初、エンジン式の草刈機(「ビーバー」と言います)による手作業で、1つの畑で3、4時間かかっていた。2週間に1回の作業で大変なので、昨年、ゴーカートのような乗用草刈り機を購入した。これは車台の下に回転式の刃があって、走行するだけで草を刈ってくれる優れもの。3、4時間の作業が30分程度に短縮できて楽になった。

 実際の栽培作業は5月下旬から8月にかけて、短期間に集中する。ぶどうの房一つひとつの形を整えたり、種無しにするための薬剤を散布したり、袋や傘をかけるなど、早朝から夕方まで働く。また、週に1、2度は1本あたり200ℓぐらいの水まきをする必要もある。

 真夏が過ぎるとようやく収穫が始まる。昨年は8月下旬から10月初旬にかけて、ナガノパープル、クイーンルージュ、シャインマスカット、巨峰の順に収穫していった。

 収穫したぶどうは自宅でパッキングするが、手間暇がかかり、早朝収穫したぶどうのパッキングが終わるのは夜になる。まず収穫したぶどうを糖度や色が出荷基準に達しているかを確かめ、1房の重さごとに分別して5Kg入りの箱に詰めていく。基準に達しないものはバラして200gのカップにしたり、一つずつの350gパックにしたりしていく。翌朝、軽トラに積み込んでJAの集荷場まで持って行ってようやく終了する。

 収穫したぶどうは知人らにも配ったのだが、幸い「こんな美味しいぶどうは食べたことがない」とか「今まで食べていたぶどうは何だったのかと思うぐらい甘くて美味しい」などの声が届き、さらにやる気が出た。

7月初めに病気を防ぐため一房ずつ袋をかける

5、ワイン用の畑も

 ワイン用の畑探しは難航したが、22年秋に高森のさらに北隣の松川町で広い畑が見つかり、仲間にも見てもらって借りることを決めた。昨年3月に苗を植え付けたばかりなので、ワインができるようになるのは25年か26年になりそうだ。

 仲間の1人が早期退職して松川町の畑のそばに、やはり東京から移住してきた。ワイン用ぶどうは生食より手がかからないので、日常の面倒は彼が見てくれている。

 私と妻は生食がメインになってしまいそうで、ワイン用ぶどうは本当に忙しい時にしか手伝いに行けないが、それでもワインが出来上がるのは楽しみにしている。

 ぶどうが落葉後、秋から冬にかけて1枚の葉もない状態から、春先に芽吹いて葉が出て、新梢が伸びて葉っぱが生い茂り、実をつけて大きくなってくるというサイクルは見ているだけで面白い。

 毎年、気象条件が異なるので、少しずつ作業は異なるし、それに合わせてどう対処していくかを考えることもまた楽しい。成長段階ごとに美味しいぶどうを作るためのノウハウもある。体力の続く限り、妻と一緒にぶどう栽培を続けていこうと思っている。

                         (元役員・増田 耕一)

約4000房に一つずつ袋をかけていく