閑・感・観~寄稿コーナー~
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飲酒40年、断酒20年―思えば遠くに来たもんだ―(北畠 孝嘉)

2024.01.22

閑・感・観~寄稿コーナー~

 昭和38年、マスコミ関係の会社に就職した。職場はもちろん、親父も酒好きだった事もあり、酒ビールは常にあった。

 最初はビールから飲み、徐々に美味しくなり、増えていった。其の内、会社帰りに友達と飲みに行くようになり、気が付けば、いつも飲んでいる状態だった。

 仕事は確か5勤1休(残業、残業無、残業、泊まり、明 け)だったかと思う。土・日は出勤、6日目の休みが土曜日だと土・日と連休になった。泊まりの日は仕事が夜中の3時半頃終わり、皆で宴会。一杯飲んだら、もう明け方だった。寝ない日もあった。 

 明けは9時半から仕事。「もう、酒は要らない」と思いながら、仕事をしていたが、昼過ぎ、帰る頃になると、また酒がほしくなってくる。午後2時ごろ帰る頃、明けの仲間たちと飲みに行く。今は無くなった西梅田の地下1階の角に「ぶらり横丁」という20軒くらいの飲み屋があった。日勤の他の友達と待ち合わせ、皆が来れば盛り上がり、席を変え、また、飲みに行く。北は北新地、阪急東通りの飲み屋、南は千日前の飲み屋。場所は足が向くまま、気が向くままで、事欠かなかった。

 29歳で今の家内と一緒になり、滋賀県の大津市に住むようになった。

 酒も旨く、料理も旨く、これが元気の源で仕事も頑張れた。

 国鉄(現JR)大阪駅から膳所(ぜぜ)駅迄50分くらい。残業の時も電車の中で飲んで帰った。一度、寝過ごして気がついたら米原駅だった。着いた時間もわからず、「今、米原駅や帰るわ」と言ったら「帰えって来るな」と言われ、タクシーでホテルに行き、寝た。

そうした日常が、いつの間にか普通になっていた。それでも、会社には普通に行き、仕事もして、家で飲んでも、暴れる事もなく、すぐ寝るタイプだったので、アルコール依存症という自覚はなかったみたいだった。

しかし、腹が出てきて「なんとかせなあかん」とは思っていたが、どうにもならなかった。

 平成15(2003)年、泊まりで飲酒して寝る前、寝室のドアで頭を打ち怪我をし、救急車で運ばれ、気がつけば家で寝ていました。

 その頃、家内は手(指)の震えがひどくなったり、家内の母親の介護で大変な時期だったと思う。その期間にアルコール依存症専門の宋クリニック(  IR神戸 )や、尼崎断酒新生会(現尼崎市断酒会)にも入会していた。そのことは、私は全く知らずに過ごしていた。

 その年、家内と子供に泣きつかれ、6月にやっと断酒会に入会し、家内が相談に行っている、宋クリニックにも行きました。

 入会当初、わたしは例会への出席にも消極的で、その代わり、家内が積極的に出席してくれていた。その事は、今も感謝している。

 酒は一度ではなかなかやめられず、自分で考えないといけない。誰も酒のやめ方は教えてくれない。家におれば、晩に腹が減ってくる。幸い、冷蔵庫が二つあった。小型の方は僕のやつだった。食材を買いだめし、晩に腹一杯食べて、寝た。

 会社はマスコミ関係。泊まり明けがあり、「北やん、飲みに行こうか」と誘われて、行った。「断酒会に入会しているから、飲んだらあかんねん」と言っても通用しない。家にはすまして帰った。肝臓は悪くなく、顔には出なかった。

 20年位前の断酒会とは世間ではまだ全くと言っていいほど認知されていない状態だった。

 定年になっても、私には外せない飲み友達がいた。意を決して、断酒会に入会している事を打ち明けた。家内も許してくれた。定年後、今は途切れたけど、年に一度は一泊旅行をした。もちろん私は飲まなかった。

 いよいよ定年後、断酒例会に出席するようなった。それでもいやいやだった。1時間45分も座っているのも苦痛だった。人の話も頭に入らなかった。頭の中は「酒をいつか飲みたい」でいっぱいだった。何も知らないから、5年くらい断酒したら、また酒は飲めると思っていた。

 飲酒40年を引きずって、断酒して5年間ほどは、なかなか前向きになれなかった。

 俺はいったい何をしているんだろう、その時、断酒はしているけど、そのあとの目標がなかった。

 断酒したら、いい事はいっぱい書いてあるが、断酒の仕方はどこにも書いていない。自分で見つかないといけない、その事がわかるのは、先の話だ。試行錯誤しながら、やっと断酒の仕方は自分で見つけた、と思っている。

 5年目から10年間、やっと自分で断酒継続の自信がちょっとついた。酒、飲んだらあかんね。酒のコマーシャル、コンビニの酒売り場、自分には関係ない。飲んだら明日は来ない。家内の美味しいごはんが食べられない。毎日、変わらない生活、これが大切なんだ、と。

 15年経った頃から、家内が体調を崩し、衝突する事も増えてしまう。断酒15年は何だったかと思うような日々も過ごした。それでも、「初心忘るべからず」を思い出し、飲酒はしなかったし、気が付けば酒のない生活になじんでいた。

 今、家内は落ち着いている。買い物も行き、ご飯の支度も頑張ってくれている。

 こちらも、家の用事で足らぬ所は手伝っている。今の家内で十分だ。元気でいてほしい。

 20年間、家内や子供が一生懸命に応援してくれたお蔭で、断酒が出来た。そして、断酒会員の皆様方、宋クリニックのスタッフの方々にも、いろいろとお世話になり感謝の気持ちでいっぱいだ。これからも一日断酒、例会出席、会員の皆様方と共にちょっとだけ、頑張っていきたい。

 「一日の計は断酒にあり」

              (元活版部文選課、北畠 孝嘉=兵庫県阪神断酒会尼崎新生支部)

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