閑・感・観~寄稿コーナー~
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元学芸部・論説室の池田知隆さんが「『半未亡人』たちの涙ー三池炭鉱炭塵爆発から60年」を雑誌「現代の理論」(デジタル版)に=東京毎友会のHPから

2023.11.23

閑・感・観~寄稿コーナー~

 死者458名、一酸化炭素(CO)中毒患者839名。戦後最悪の炭鉱・労災事故といわれる三井三池炭鉱の炭塵爆発事故(1963年11月9日)から60年経った。今年11月10日、大阪で開かれた60年記念集会では音楽劇「黒いかがやきの道ー女たちの144時間座り込み」が初めて上演され、理不尽な人生を強いられ、気高く生きた「炭鉱(やま)の女」たちが舞台の上でよみがえった。

 地下350メートルの灼熱の地底で6日間、144時間もの座り込み。CO中毒で植物状態になったり、いつも頭痛を訴え、暴力をふるったりする夫や子どもたちを抱え、三池の「半未亡人」といわれた女たち75人が坑内に入り、特別立法による救済を求めての行動だった。

 爆発当時、私は国鉄(現JR)荒尾駅前で自転車店を営む自宅の2階で寝転んで本を読んでいた。大音響とともに家がグラリと揺れ、家を飛び出すと、2、3キロ向こうで黒い煙がキノコ雲のように噴き上げていた。中学3年生の秋だった。事故で父や兄を失った同級生は多く、週明けの教室は重苦しい空気に包まれた。ミュージカルを見ているうちに、その時の光景が記憶の底から鮮やかに浮かび上がってきた。

三池の女たちの闘いを描いた音楽劇「黒いかがやきの道」

 「総資本対総労働」と呼ばれた三池争議から3年。「みんな仲間だ、炭掘る仲間……」と労働歌を共に歌い、互いに暮らしを支えあった炭鉱マンは第1組合と第2組合に分裂し、激しい憎悪が広がっていた。坑内での保安体制が軽視され、「生産第一主義」の果ての事故だった。その夜、神奈川県横浜市の国鉄東海道本線で死者161人を出す鶴見事故も発生し、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。優良鉱山と国鉄幹線による大惨事。そのとき、私はぼんやりと「社会」という現実を意識した。

 翌春、地元で開校したばかりの国立高専に進学。大学受験もなく、サイクリングで日本一周するなど自由な青春を満喫していたが、高専4年生の夏、その坑底座り込みにぶつかった。炭鉱の女たちの命がけの行動に私は大きな衝撃を受けた。

 爆発で働き手を失った遺族の無念さは言うに及ばない。だが、後遺症を患った被害者の家族も地獄に叩き落されていた。事故から3年、ほとんどの被災者がわずかな一時金で労災補償を打ち切られる。悲惨な生活に耐えてきた被災者の妻たちが「被災者を解雇するな」「体調が戻るまできちんと治療してほしい」と訴えたのだ。

坑底に座り込む「炭鉱の女」たち

 「未亡人」には、「夫がなくなったあとも生きている」という響きがあり、いい言葉ではない。後遺症に苦しむ夫を抱え、別れることもできない若い妻たちは「半未亡人」と呼ばれた。「たった一度きりの人生を大事にしたい」と思いながらも、過酷な現実を引き受けた。生活の窮状を訴え、座り込む妻たちへの食べ物や水の差し入れを会社は禁止した。一刻も早く地上に上がってほしいから、という名目だったが、妻たちはじっと耐え続けた。労働運動史上に特筆されるべき女たちの闘いだった。

 「あの座り込んでいる人たちのこと、どう思う」

 友人にそう問われて答えに窮したことがある。

 <ぼくだったら、どうするのか>

 後遺症に苦しむ家族を抱え、長く続く人生の重さを引き受けられるだろうか。ひょっとしたら、逃げてしまうかもしれない。

 <たった一度の人生。もっと世界を見て回りたい、という衝動を抑えきれないかもしれない。ぼくは卑怯者だろうか>

 18歳のときの心の揺れ。いつしか技術者の道から外れ、もっと社会を広い視野から見つめたいとの思いが募った。

 歳月は流れ、炭鉱は閉山。死者全員の氏名が刻まれた「三川坑炭塵爆発慰霊碑」が建立されたのは爆発から57年目のこと。60年後のいま、CO中毒の後遺症で苦しむ人は入院、通院あわせて約40人もいるという。

 「半未亡人」たちも齢を重ね、白髪が目立ち、老いた。新婚時代と同じ愛情で夫のリハビリを続ける妻もいれば、自らが生きた証しとして全患者の生と死の記録を残そうとする人もいた。一瞬、若いころの姿が浮かび、「立派に生きてこられたけど、寂しくはなかったのだろうか」との思いを抱いたこともある。だが、それはまったく余計な憶測で、「事故の悔しさや怒りはあっても、家族一緒に過ごせて、後悔はありません」とにこやかに語る彼女たちの言葉に胸を突かれた。

 事故前の優しかった夫や兄の面影を大切に心にしまい、ずっと寄り添っている「半未亡人」たち。その姿に人間の尊厳、偉大さ、美しさを感じ、いつしか私にとって社会や人間を見るときの指針となった。ふと、インディオの諺が脳裏をよぎる。

 勝つこと知っている者は
 富や権力や名誉を手に入れる
 敗れることを知っている者は
 天と地と海を手に入れる

 人が強者にあこがれること自体は決して否定しない。それを目指すのもいい。だが、強さに驕るものがいかにもろいものであるか。逆に、敗れることを知りながら生き続けることもいかに勇気がいることか。

 「三池」を抱きしめた「半未亡人」たちは、他人の苦しみや悲しみに同情する能力を豊かに備えていた。それこそが本当の心の豊かさというものなのだろう。勝つことも敗れることもあまり意識せず、淡々と見ることに徹してきた私は、はたして何を手に入れることができたのだろうか。地底で涙を流し、不条理な社会に耐え、たくましく気高く生きた人々を思いやる感性だけは失わないでいたい。

                        (元学芸部、池田 知隆)

 池田 知隆さんは『三井三池炭鉱炭塵爆発から60年』敗れざる者の豊かさ──「三池」を抱きしめた「半未亡人」たち」を雑誌『現代の理論36号』(デジタル版、11月4日発信)に寄稿しています。

http://gendainoriron.jp/vol.36/rostrum/tikeda.php 

 池田 知隆(いけだ・ともたか)さんの略歴(『現代の理論36号』から)

 大阪自由大学主宰 。1949年熊本県生まれ。早稲田大学政経学部卒。毎日新聞入社。阪神支局、大阪社会部、学芸部副部長、社会部編集委員などを経て論説委員(大阪在勤、余録など担当)。2008~10年、大阪市教育委員長。著書に『謀略の影法師-日中国交正常化の黒幕・小日向白朗の生涯』(宝島社)、『読書と教育―戦中派ライブラリアン棚町知彌の軌跡』(現代書館)、『ほんの昨日のこと─余録抄2001~2009』(みずのわ出版)、『団塊の<青い鳥>』(現代書館)、「日本人の死に方・考」(実業之日本社)など。本誌6号に「辺境から歴史見つめてー沖浦和光追想」の長大論考を寄稿。

=東京毎友会のホームページから2023年11月20日

 

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