2023.03.01
閑・感・観~寄稿コーナー~
2016年に55歳で選択定年退職した後、龍谷大学社会学部の教員をしている。担当しているのは「報道論」などジャーナリズムに関する教科が中心で、毎日新聞時代の経験が支えになっている。40歳ほども年が離れた学生たちとは育ってきたメディア環境が大きく異なるが、それだけに若い人たちと過ごす日々は刺激的だ。
毎年度、授業の冒頭、学生たちに「新聞を毎日読んでいる人は」と尋ねることにしている。赴任した7年前には1割ほどの学生が手を挙げたが、年々少なくなり、ここ数年は1人か2人。重ねて「たまにでも新聞を読むことがある人は」と尋ねても、手を挙げる学生はまばらになってしまった。若者の新聞離れを実感し、寂しい限りだ。
新聞を読まない理由を尋ねると「ニュースはネットで知ることができる」「新聞は値段が高い」「読んだ後、ゴミになって面倒」という声が多数を占める。ネット時代になって「情報はただ」が彼らの常識になっているし、情報を得るのに紙のメディアは効率が悪いという意識が広く持たれているのだ。
ある時、図書館で机に新聞を広げていると、あるゼミ生が「そんな大きなものを広げて読んでいるんですね」と声をかけてきた。私が「君らもたまには新聞を読んだら」と言うと、彼は「本当は読んだ方がいいと思うんですけど、僕らの世代は長い文章が読めないんですよ」と答えた。これには私も返す言葉に困り、「うーん」とうなってしまった。
彼らの世代は、発表の際にはパワーポイントできれいな資料を作成し、魅力的なプレゼンテーションを披露する。そこでは、短い言葉でポイントを示し、写真やアニメーションを駆使して、見栄えのする素材を作り上げる。学生との連絡ではもうメールよりもラインを使うことが多くなったが、ラインで使われる言葉は短いし、多くの学生(特に女子)は、状況に合った絵文字を添え、表現を彩ってくる。
こうした現代の学生に「新聞は信頼できるメディアだから読みなさい」と求めることには無理を感じる時代になってきた。人間は置かれた環境に適応しながら生きていくのだから、使うメディアも変化していくのは自然なことなのだろう。
一方、学生たちに「報道に関して知りたいこと」を聞くと、「正しい情報とフェイクニュースの見分け方を知りたい」という声が圧倒的に多い。彼らは、社会の出来事に関心がないわけでは決してないし、インターネットを通じて実に様々な情報を入手している。ただ、新聞のような「信頼できるメディア」に日々接してないため、あふれる情報の中で、何を信用していいのか不安を抱えているのだ。
こうした学生の要求に応えるため、授業では、ニュースがどのように取材、選択、編集されて読者や視聴者に伝わるのか、正確な情報を伝えるためにどのような手続きが踏まれているのか、といった事柄にも重点を置いて教えている。そこで教材としてよく使うのが新聞である。ニュースや報道の意味を教えたり、社会のさまざまな問題を考えたりするために、新聞記事はかっこうの材料を提供してくれる。
情報が氾濫する時代にあって、信頼できる情報を提供するメディアの重要性は増している。「新聞を読まない世代」の若者たちに、「新聞で育った世代」の一員としてどう教えていくのか、日々試行錯誤を続けている。
(元論説室・藤田 悟)