2023.02.08
閑・感・観~寄稿コーナー~
私は昭和15年4月24日生まれの、高齢者であります。昭和31年4月2日に線あって、霊山寺(りょうぜんじ、以下寺と言う)に入寺しました。
寺はかつては、広大な寺領が有って、裕福であったようですが、戦後の農地解放で、経済的には極めて困窮しておりました。檀家も少なく、寺は廃寺同然の状態でした。先代は「死んだ者は、いくら拝んでも帰って來ることはない。生きている者が大事である」が口癖でありました。
貧困の中から、高校、大学に行かせてくれました。お蔭で昭和39年4月、毎日新聞社に入社させていただきました。昭和52年1月13日、先代の死去により、同年10月末日、苦渋の決断でありましたが、退職いたしました。新聞社では総務部でお世話になりました。寺は困窮しており、新聞社の給料で寺を維持しておりました。
退職後は、学習塾へ勤めたり、他寺院の役僧をしながら、家族を養うことになりました。また、改めて、宗門の大学で学び直しました。私は住職として、寄附は一切強制せず、護寺会費は受け取らないことを大方針にして、現在に至っております。
新聞社に在籍したお蔭で、世間の事も少しは分かるようになり、また総務部では、土木、建築、不動産取引等を勉強させていただき、寺の運営に大いに役立たせていただきました。私の生き様が市民の評価を得るところとなり、口コミで檀家になっていただくことになり、退職後10年くらいで漸く自立出来るようになりました。
さて、近況ですが、寺を取り巻く状況は、厳しいものがあります。コロナ禍から3年経ちましたが、檀家様へのご回向は、大幅減少いたしました。毎月のご命日にお伺いする月参りは、90軒ほどありましたが、現在では10数軒になりました。年忌法要も7回忌ぐらいで終わるようです。葬式は、枕経、お通夜を省略した一日葬が流行し、また、病院から火葬場への直葬(じきそう)が増えてまいりました。
寺の収入は、3年間で大幅に減少いたしました。市民社会の経済悪化のためであり、仕方があろません。火葬場の職員の話では、「最近葬式のうち3割くらいは、お寺さんは来ておりません」とのことでした。
コロナ禍だけでなく、故人に対する思い入れが希薄になったのか、寺離れが進んでおります。また、少子化のためか、継承者に不安を感じて、墓じまいが増えております。業者が来訪する時、常に話すのですが、「寺、葬儀社、石材店、仏壇店の4業種は、人様のご不幸で、生活している」と。謙虚で、自戒すべきであります。
人口減少により、過疎地の寺院は、檀家の減少と住職のなり手がおらず、やがて消滅すると思います。都会の裕福な寺院は、高級外車に乗ったり、羽振りの良い生活をしており、世間の目の厳しさに気付いていないようです。葬式仏教としての寺院は、大きい転換点に遭遇しつつあるようです。
(元総務部・玉山 順彦=高槻市、霊山寺住職)