閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

会報作りハマスイ賛歌(髙岡 正和)

2023.01.20

閑・感・観~寄稿コーナー~

 私は2012年に本社のキャリアスタッフが期間満了となり退職。約1年後に(公社)堺市シルバー人材センターに入会しました。60歳以上の堺市民であれば誰でも入会できる団体で、当時は6000人ほどの会員組織でした。同センターの活動内容も十分に把握できないまま過ごしていると欠員補充との理由で誘いを受け、会報の編集作業に加わることになりました。私を含めたスタッフ6人は全員が編集未経験の素人集団です。

 会報は年4回発行の季刊誌で、A4判の12ページ建てオールカラーです。印刷冊数はその時の会員数に応じて500部単位の増減がありますが、最近は5500部を印刷しています。

 紙面内容はシルバー人材センターの「本部事務局からのお知らせ」をメインに、会員相互の交流事業や仕事の紹介のほか、会員の作品コーナーでは写真や絵画、川柳や俳句なども掲載、表紙は堺を代表する文化や史蹟などを取り上げています。

 この会報は2016年の夏季号までは編集作業に町の印刷業者が加わっていました。しかし経費の見直しで業者は外され印刷はプリントパック方式になりました。その結果、年間経費は約30%削減できましたが、業者に頼ることができなくなった編集作業はしばらく悪戦苦闘が続きました。現在は新しい形態にも慣れ紙面作りも順調で、共同通信社の『記者ハンドブック』(2018年7月30日発行)を参考に校正しています。

 2023年は1月から春季(143)号の編集が始まり4月中旬の発行を目指していますが、毎号とも表紙は堺にちなんだ事柄で、しかも配布する時期にふさわしい内容を求めるため、そのネタ探しに苦慮します。

 これまで「自転車」や「阪堺電車」、「線香」や「昆布の加工」のほか、「市の花木」も紹介しました。そして昨年はハマスイ「毎日新聞社浜寺水練学校」が夏季(第140)号の表紙を飾りました。

 堺市浜寺にハマスイが創設されたのは1906(明治39)年7月です。すでに一世紀を超えた伝統の水練学校ですが、最近はコロナ禍で休校を余儀なくされていました。ところが“3年ぶりにハマスイが再開”との情報を得たので、『シルバーさかい』夏季号の編集会議に「ハマスイの掲載」を提案したところ、全員が賛同したので関係者に原稿をお願いすることになりました。

 第114回ハマスイの開校準備をしていた木村益紀師範を訪ねたのは昨年4月、大阪本社でハマスイの会議が開かれる前日でした。会報内容と原稿依頼の主旨をお伝えすると、2日ほどしてFAXで原稿を送ってこられました。

 “さすが師範!”と、いただいた原稿をパソコンに入力すると予定したページ数を大幅に超えるため、そのことをお伝えすると「好きにやって」とあっさりしたもの。

 さて、そうなるとのんびりと構えるわけにはいかず、『毎日新聞社浜寺水練学校100年史』〈2006=平成1=年6月発行〉や新聞の特集記事などを参考に、原稿を再構成する一方、掲載する写真をハマスイ事務所で探したり、大阪事業本部の根岸誠事業部員に手配してもらうなど、関係者にご協力をいただきました。そして完成したのが3ページを占めるハマスイ記事【写真】です。

 これまでシルバー人材センターの活動に関係しない記事は2ページていどの扱いだったので、統括責任者から「本部事業に関連しない記事にあまりページ数を割かないように」との苦言を受けました。しかし、その時の私は5189人の会員に“ハマスイがPRできた”という達成感で、にんまり気分でした。

 なお、『シルバーさかい』はhttps://www.sakai-sjc.or.jpの会員のページでもご覧いただけます。

          夏草や兵どもが夢の跡(芭蕉)

 7月中旬に完成した会報を届けるためハマスイの事務所を訪ねました。写真はその時に撮影した2枚ですが、看板と老朽化したプレハブの建物を見て、この俳句を思い出しました。

 約20年前、私は事業本部の開発事業部に在籍していました。現在は大阪事業本部事業部がハマスイを担当していますが、当時は開発事業部の仕事でしたので私は担当者と一緒に開校中のハマスイに行くことがありました。

 水練学校に着いてしばらくすると授業前の準備体操があり、校舎横の公園で子どもたちが体操をしているのを見学しました。体操の途中で故濱田奈良夫師範が「こらっ ちゃんと体操せんか!」と“やんちゃな子”を叱っていたことが印象に残っています。

 当時は1000人を超える生徒がいましたが、その生徒たちの体調管理に気を配りながら水泳を指導し、無事故で運営してこられた事務局スタッフの努力に頭が下がります。

           水練は心練

 大阪本社文化事業部長や財団法人毎日書道会関西支部長を務めた井上脩身氏は、著書『酔花』(2010年11月発行)で、16年間師範を務めた故濱田奈良夫さんが「水練は心の鍛錬をするところ」で、ハマスイは「心練」の場所と述べたことを紹介。”たとえ「水練」が消えても「心練」の魂は残る。そう思いたい“と記しています。私も同感です。

 わが国のシンクロ(現在のアーティスティックススイミング)はハマスイが発祥の地で、1984年オリンピックのロサンゼルス大会で日本人選手初のメダリストを輩出したのもハマスイ、その輝かしい功績に加え今日まで37万人を超えるスイマーを育てあげた実績を振り返るとき、この事業の永続とさらなる発展を願うばかりです。

           Bravo ハマスイ

                   (元総合事業局企画部 髙岡 正和)