閑・感・観~寄稿コーナー~
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創刊150年記念寄稿 旧社屋講堂のベヒシュタインと「一万人の第九」(入口 邦孝)

2022.04.14

閑・感・観~寄稿コーナー~

 私の寄稿「旧社屋講堂のベヒシュタイン」について、蓮見新也さんが関係の方々の話や過去をいろいろと尋ねていただいたとのことで、そのご苦労に感謝申し上げます。私が若かったころに弾いていた、脚が壊れて木箱2個ほどを積んで支えていたベヒシュタインピアノへの思い入れをそのまま書いたのでしたが、本当にあのベヒシュタインはどうなったのか、もう今では幻のミステリーにしておいて頂ければと思います。

 蓮見さんによると、現在の文化センターにあるピアノは、旧南館の国際サロンにあったものとのことでしたので、国際サロンにまつわる私の思い出を綴らせていただきました。

 1983年12月、大阪城築城400年記念事業としてMBS主催、サントリー協賛「一万人の第九」が企画されました。オーケストラは大阪フィルハーモニー、京都市交響楽団、関西フィルハーモニーの合同演奏、合唱は大阪フィルハーモニー合唱団、大阪音大合唱団を主体に第九特別合唱団として一般の個人、合唱団約7,000人、指揮は山本直純氏のラインナップでベートーベンの交響曲第九番「合唱付き」を歌う企画でした。そして、第2回からは、オーケストラと大合唱の邦人作品が少ないことから、この企画を機にと山本直純氏が作曲した藤本義一作詞による「友よ、大阪の夜明けをみよう」という曲を合唱しました。

 この企画は、一般にも「一万人の第九」として知られ、1999年の第17回から指揮者が佐渡裕氏に代わった以後も歌い継がれています(ただし、近年の新型コロナ感染拡大を受けて、開催の様式が変わってきているようです)。当時、一般参加者の合唱練習は全国に練習会場が設けられて半年前から始めましたが、大阪では練習会場の一つに旧南館の国際サロンが使われました。練習は月に2回ほどで、私は国際サロンでの練習に参加していました。

 私は初回から個人で参加していて、第2回の1984年には参加者全員への記念品として参加者個人々々の写真と名前が入ったレコードジャケット(写真)に当日の演奏録音が入ったLPレコードとサントリーのオールド商標に当日の日付とコンサート名の入ったガラスコップを頂きました。これは今も持っていて、家でビールを飲む時には大抵これを使い、往時を偲びます。(写真)

私の写真と名前入りのレコード
「友よ・・」楽譜表紙とコップ

 ところで、合唱練習には声楽指導者とオーケストラ部をピアノで弾くピアニストが付きますが、その時に使ったピアノが、現在の文化センターにあるベヒシュタインということになるのですね。合唱練習はピアノを鑑賞するという場では無く、雰囲気もこちらの聴き方もちがいますし、国際サロンのピアノが世界的なベヒシュタインなどとは思いもしていませんから、気にもとめていませんでした。

 あの時のピアノはベヒシュタインでしたか。知らなかったですね。毎日ホールも決して大きいホールではありませんでしたが、まして小ホールの国際サロンにベヒシュタインという高級ピアノが、しかもフルコンサート用というグランドピアノの中でも特に大型のピアノが置いてあったのですか。高価なピアノの使い方としては、それは何ともちぐはぐでそぐわない気がします。もう今では40年も前のことですが。

 私宅にはアップライトのスタインリッヒピアノとパイプオルガンや弦楽器機能も付いたロランドの電子ピアノがあって、孫娘二人用にとピアノはヤマハがアクション部をごっそり工場へ持ち帰るなどして大オーバーホールしたにも関わらず、中学生の孫娘たちはピアノには関心を示してくれず、今では私も弾かないものですから、カバーを被ったままで居眠っています。もう卆年から数える方が早い年齢になってしまいましたが、いつか、毎日新聞社ビルを訪れることがあれば、現在あるベヒシュタインに会ってみようと思います。

                          (旧印刷局 入口 邦孝)

製本楽譜は第3回から。初演はコピー楽譜