閑・感・観~寄稿コーナー~
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創刊150年記念寄稿 堂島旧社屋講堂にあったピアノの名器「ベヒシュタイン」(入口 邦孝)

2022.03.07

閑・感・観~寄稿コーナー~

 リタイアして30年を超えますが、折に触れ気になることがあります。堂島の本社旧社屋3階の講堂にあったドイツ製の名器「ベヒシュタイン」というグランドピアノのことです。

 私が入社して間もない昭和30年(1955年)ごろ、学生時代から音楽にのめっていたこともあり、社内の「毎日合唱団」に入り、ピアノを少し弾けることから、当時は弾かれることもなく眠っていた3階講堂のピアノを使うことにしました。今ではコンサート用としてスタインウェイやベーゼンドルファー、ベヒシュタインなどはよく使われますし普通に耳にしますが、当時は中でもベヒシュタインは夢にも思わない高価なピアノでしたから、総務部で鍵を借り鍵盤の蓋を開けた時、驚きで目を疑いました。一般にはピアノの色は黒色が普通ですが、そうではなく、年季が入り、くすんだ木目調の気品のあるピアノ、まさに「ベヒシュタイン」がそこにあったのです。ところが、残念なことに3本の脚のうち1本が折れていて、何とミカン箱かリンゴ箱のような木箱を重ねて脚代わりとなっていました。総務部にどうして修理しないのか言いましたが、入社して間もない若僧社員の話などは無視されました。

 以後、毎日合唱団は私がそのピアノを弾き、シューマンの「流浪の民」や数多くの合唱曲で何度か社内コンサートをしたものです。

 会社は、毎年正月2日に講堂で「新年祝賀会」を催していましたので、出席者全員で国歌「君が代」や「社歌」を歌いましたが、私がピアノを弾くことになりました。他にも、「定年者送別会」が年に2回ほどありましたし、社としてのいろんな行事で最後に社歌を歌う時は私がピアノを弾いたものです。

 また、年月は覚えていませんが、講堂で本社の社員を対象にNHKの「のど自慢大会」があったのをご存じの方がおられるでしょうか。プロのピアニストがベヒシュタインを弾きましたが、木箱を積んだピアノには驚いていましたし、恥ずかしい思いをしました。この時も総務部には修理をと提言したのですが。

 

創刊110周年社員大会

 写真は1982年2月20日に行われた「創刊110周年社員大会」で社歌を歌っているものです。この年の2月から講堂を新聞製作CTS化に必要なシステムのホストコンピュタ室として改造する工事を行うため、講堂内の諸設備や世界一周を果たした「ニッポン号」の記念レプリカや先人の胸像などの置物は全部取り払われていましたので、この日のステージも仮作りでした。当然ですが、ピアノのベヒシュタインもどこかに搬出されていて、社歌を歌うには旧毎日合唱団の有志がリードする形になりました。ステージの左端が私で、ピアノの代わりに右手を大きく振ってリズムを取っている様子です。

新旧合併社員大会

 もう一枚の写真は、1985年11月7日に行われた「新旧合併社員大会」です。1977年11月以降会社経営を新社旧社に分離していましたが、8年目のこの年に合併することになったのを記念して、全社同日に記念社員大会が開かれたと聞いています。大阪本社はこの年9月に朝夕刊の社会面と対社面をCTS製作へ移行し、CTS化率を72%としていました。そのような状況で旧社の講堂はホストコンピュタ室となっていましたので、この記念社員大会は南館の毎日ホールで行われました。写真のステージ上は旧合唱団の有志で合唱をリードしました。ピアノを弾いているのは私ですが、ピアノは残念ながら、本社所有の貴重なベヒシュタインではなく、毎日ホールのグランドピアノでした。

 ところで、その後の脚の壊れたベヒシュタインですが、新社屋の2階に黒塗りのグランドピアノがあるのに気づいていて、変に思いながらも、その後を追うこともなく社を去り、今に至っています。本紙の文化欄で「ベヒシュタインを聴く会」が催されているのを知り、私が弾いていた脚の壊れたベヒシュタインはどうなったのかが気になっています。毎日新聞社が2、3千万円もするベヒシュタインのグランドピアノを買うとは考えられないし、壊れた脚の修理とともに、鍵盤やアクション部の修理調整と音の調律を行い、色も元の木目調から黒色に塗り替えたのかと思ってしまいます。もし、色を塗り替えるなど、姿を変えてしまうそんな暴挙が行われたとするなら、脚の修理も管理もしないで長年放置してきたこととも併せて、100年以上は経っているまさに文化遺産ともいうべき、恐らく日本でも数少ない貴重なピアノの名器「ベヒシュタイン」を毎日新聞社は失ったことになります。

                      (旧印刷局・入口 邦孝)