2021.10.06
閑・感・観~寄稿コーナー~
ジャーナリズム研究関西の会の例会が2021年9月22日、開催された。この例会は会員を対象に、その時々のメディアの関心ごとや問題点を専門の学者やジャーナリストに講演してもらい、参加者との質疑を取り入れて充実したものにする、というこの会の軸になっている勉強会だ。通常、年5,6回実施しているが、コロナ禍のため、対面での実施は、昨年10月以来、約1年ぶりの開催になった。参考に前回は元NHK記者の立岩陽一郎氏に「フェイクとファクトチェック」の演題で講演してもらっている。(今年1月は毎日新聞大阪本社社会部長、麻生幸次郎氏が大阪都構想問題について話す予定だったが、コロナの広がりで中止、会報に原稿をまとめ、会員に配布するという措置をとった)。
今回も緊急事態宣言下で最初予定していた会場が使えなくなり、急遽、大阪駅前第2ビル5階の大阪市総合生涯学習センターに変更して実施した。今回の講師は、若手ジャーナリズム研究者の野津朝彦・立命館大准教授で「戦後日本ジャーナリズムの行方」の演題。すでに「戦後『中央公論』と『風流夢譚』事件」や「戦後日本ジャーナリズムの思想」などの大著を書いており、また、朝日新聞に「メディア私評」を寄せるなど精力的に活躍している44歳の若い研究者だ。そんな若手への関心もあるのだろう、会場は約30人の会員とその友人らが参加、熱心に耳を傾け、質問も「戦後のレッドパージと新聞」など次々と出され、活発だった。
ところで今回の例会は緊急事態宣言下で開催された。幸いなことに宣言下といっても、感染者の数は急激に減少傾向を示していた。このまま緊急事態宣言下ということで延期あるいは中止になるとせっかくの講師の気合いも、また「久し振りに対面で」という会員の熱も覚めてしまうかもしれない。そしてこの会自体、会員相互が疎遠になり、会の存続に関わるなど様々な思いが交錯したが、結局、実行してよかったと思う。このコロナ禍の中でも何かしなければ、人の集まりはつぶれてしまう、と多くの人が実感していたから。
この例会を実施するに当たっては、会則に従いまず7月に幹事会を開き、講師と演題を決めた。メールでのやりとりになったが、ほかに20年度決算、21年度予算など事務的な処理があり、さらにこれを年一度のいわば最高議決機関の総会で承認してもらわなくてはならない。この総会についても議案を郵送で会員に送り、書面での議決という異例の事態になっていた。
会の終了後は通常なら、講師や仲間と連れだって、ビールでも飲みながらさらに議論を深めたりする愉しみがあるが、さすがに緊急事態宣言下で例会会場の駅前第2ビルの地下飲食街は閉店も多かったこともあり、喫茶店でコーヒーで”反省会”という次第だったが、ともかく約1年ぶりの再会で気分も高揚,
思わずこの会もなんとか存続するだろう、と長い歴史を重ねているこの会の将来に希望が持てた。なおこの”二次会には毎日の私のほか、MBSOB二人、朝日OB二人、NHKのOBと多彩な会員が参加していた。この多様なメンバーがこの会の魅力なのだから。
ところでその多彩なジャーナリズム研究関西の会とはどんな会なのだろう。私自身は毎日新聞の同僚に誘われ、約10年前に正式に加入した。ちょうど坂田記念ジャーナリズム振興財団に勤務していたころで、ジャーナリズムについて、毎日新聞退社後も多角的な問題に取り組めるようにしておこう、そのためにはこの会が催す会合に出席しようという気持ちからだった。その頃、例会は大阪駅前第3ビルにあった日本新聞協会大阪事務所会議室で開かれていた。そして出席するうちにこの会が毎日新聞と深いつながりがあることを初めて知った。(なおこの例会の会場はスタート時の1949年から1999年7月の第189回例会まで基本的に大阪市北区堂島の中央電気倶楽部でその後、この新聞協会大阪事務所で2013年2月の第253回まで開かれ、この大阪事務所の閉鎖で、2013年4月の例会から大阪駅前第2ビルの大学コンソーシアム会議室で主に開催されてきた。現在の大阪市立大文化交流センター)。冒頭のような例会は年4,5回開催、時に基本的に外部に開かれた講演会なども実施している。会の運営にかかる費用は会員の会費や寄付金などを当てている。
現在、この会の会員は個人会員(年会費3500円)が40人ほど、法人会員は2社で、この法人会員(会費年間3万円)が毎日新聞大阪本社と朝日新聞大阪本社なのだ。また個人会員で毎日新聞OBは約10人、もちろん、新聞各社やNHKや民放各社OB、大学関係者などジャーナリズム研究者もいて多彩だが、ともかく毎日OBが多い。また会の実質運営に当たる幹事会は現在7人で構成、今年度は4人が毎日OB、2人が朝日OBで残り一人が共同通信OB。この中から代表幹事が朝日と毎日から選ばれるようになっている。私は2018年度から藤田修二さん(元大阪本社代表室長)から代表幹事を引き継いでいる。現在、藤田さんは監査幹事。
毎日新聞は朝日新聞とは戦前からライバル新聞社として競争してきたが、このジャナ研での朝日との関係はなぜ生まれたのだろう、とふと思った。この会で長年、代表幹事を務めてきた朝日OBの故平野一郎氏、毎日OBの故上妻教男氏が残したこの会に関する文章や現会員の福岡克さん(技術系の毎日OB)が作成したデジタル版の「積み重ねた”研究例会”の歴史」など参考にしながらひもといてみた。
まず発足時の1949年。公職追放やレッドパージ、また何より失業や食糧難など混乱の時代だったが、占領軍による検閲が基本的に終わり、表現の自由や真実の追及などが主張される時代風景の中、朝日の大山千代雄の提唱で、朝日は大山も含め信夫韓一郎ら4人、毎日は藤田信勝、井上吉次郎ら4人の論説委員らが賛同、「新聞学研究会」が発足した。この年7月である。その後、すぐ8月12日、大山が「新聞の自由について」、9月16日には井上が「新聞の価値」そして10月には当時、余禄を執筆していた藤田が「ニュースの真実性について」を発表している。戦後改革、民主化の熱気が伝わってくるようだ。この大山らの原稿は謄写版印刷されて配布されたという。(これについては面白い話がある。幹事の中川健一氏=共同通信OB=がこの会の歴史を調査していて、占領軍がアメリカに持ち帰った関係資料の一部が国立国会図書館に戻っていることを2012年に突き止めたのだ。「新聞学研究」第一号の表紙などが写った写真をみたが、ガリ版刷りが何とも懐かしかった。!なお、中川氏は約200回分の例会報告をテーマ別に分類するという作業もしている)。この後、毎日からは斎藤栄一や高橋信三ら編集幹部、また朝日から田中菊次郎ら有名記者も加入、会員は20人ほどになっている。(1950年10月には朝日社主の上野清一が「新聞は歴史の資料になるか」の題で講演している。)
ところが51年、大山が死去、しばらく、休会状態になった。59年ごろ再開、以降、会員は毎日、朝日以外の新聞や雑誌にも広がり、メディア関連の学者、放送関係者も加わり、この研究例会を年4,5回こなしながらその歴史を積み重ねてきた。そして2007年には会の名称も現在の「ジャーナリズム研究関西の会」に改称した。例会もさまざま、工夫を重ね、2009年12月には創立60周年記念シンポジウム「いま新聞が問われているもの」として、元読売新聞大阪論説委員長を司会者に、毎日、朝日、神戸新聞の編集局長が語り合う、という大きな会が開かれた。当時の代表幹事の上妻さんがのちに日本新聞協会報で大きい記事にしている。
公開例会という点では私にも個人的な思い出がある企画がある。それは2019年3月、ドイツ在住の国際的ピアニスト、韓伽倻さんを招き、「在独37年を弾く 語るーピアニストから見たドイツの今」と題し、ピアノ演奏と対談の会を中央電気倶楽部で実現したことだ。ちょうどドイツは難民受け入れ問題で揺れている最中で伽倻さんを個人的に知っている私が聞き手になって進行した。客の入りが心配だったが、会場は約300人で一杯になった。これは他の幹事、会員の協力ゆえだったが、企画者としては神経をつかった分、達成感があった。なおこの企画はちょうどこの会の発足から70年にあたり、まさに「70周年記念の会」にあたっていたわけだ。なお私は会の運営に関わっているが、この年6月の例会では「坂田記念ジャーナリズム賞について」を自ら報告、また12月の例会では私の縁で高名なメディア学者で歴史家の佐藤卓己・京都大大学院教授を招き、「社会的分断とフェイクニュース」について話していただいた。
この長い活動期間の例会のテーマや講師、その所属をじっと眺めていて深い感慨を催す。新聞で言えば、戦後の、表現の自由の”原論”の時から、マスコミの基軸として君臨していた絶頂期からテレビの時代を経て、インターネット全盛の現代へ。まさに新聞は天国と地獄をこの間に味わっているのだ。。
幹事の中川健一氏の分析によると、過去の例会テーマはやり、メディアに関する話題が多いが、編集・報道だけでなく、販売・広告・事業・経営についても幅広く研究、とくに近年はニューメディアに関するテーマも急増しているとの指摘。また、講師もメディア研究者が多い時もあったが近年はメディア関係者が多くなった。今後の課題として会員の高齢化を打開するため、若手の記者ら新規会員を拡大する▽公開シンポジウムなど例会の形式やテーマに工夫を凝らすなどを提案していた。そのとおりだろう。
こんな課題を背負いながら例会を重ね、今回で冒頭の294回目に達したわけだ。そしてその運営を支えてきたのが歴代の役員(幹事)で、代表幹事は二社OBから出してきたのだし、また一貫して法人会費を納入して、この会の存続と運営を支えてきたのが毎日と朝日の2社だったというわけだ。
ともかく、肩ひじ張らず、質疑も自由闊達にでき、しかも定期的に会を実施できることが一番だ。様々な個性、経歴の他社OBらとも交わりながら、今回のようなコロナ禍も超え、持続させることことがもっとも大切なのだとつくづく思った。ぜひ若い方々ににも参加していただき、この会を活性化してくれたら、と願っている。
(元編集局・滝沢 岩雄)