2021.09.17
閑・感・観~寄稿コーナー~
1年ほど前、本屋に孫の算数ドリルを買いに行って、宮本輝さんの最新刊「灯台からの響き」を見つけました。会社を辞めてから行政書士を開業したので、記者時代の数十倍も熱心に本を読んだが、仕事に必要な法律書、実務書ばかりで読書といえるものではなかった。実務書は高いので多分40~50万円はつぎ込んだと思うが、基礎的な知識が習得でき、ようやく気持ちにゆとりができたころでした。
宮本輝さんの本は、高校時代からの友人に「貴方によく似た作家がいるよ」と教えられ、読み始めた。「よく似た」というのは、文章やものの考え方、感受性のことだろうが、苦労して育った子供時代など自分でも驚くほど似通った部分を発見した。
「面白くなければ小説じゃない」が宮本さんの持論で、「道頓堀川」や「蛍川」、父親を主人公にした「流転の海」などとにかく面白く、最後まで一気に読んでしまう。文章力などは私のおよぶところではないが、私が勤務したことのある富山市に彼も住んだことがあって、作品にもたびたび登場するなど親近感を感じた。
大阪本社G3部長のとき、元日の別冊特集で宮本輝さんを取り上げることになり、編集会議で知ったかぶりの「宮本輝論」をぶったところ、「それじゃ、宮本輝さんは上鶴さんに書いてもらうということで」とあっさり決まった。自宅を伺っての取材では、お話が面白くてついインタビューを長引かせ、宮本さんに「だいぶ疲れてきましたね」と言わせてしまった。
本屋の棚に並んだ宮本さんの本をタイトルも見ず、20~30冊ほど1列全部「大人買い」したのはそのころだったと思う。「流転の海」9部作の第3部「血脈の火」(1996年)が出され、第4部はまだ執筆中といういわば心の空白期間のような時期で、「もっと宮本さんの本が読みたい」と、いわば「ヤク中」状態。そんな時だから、夢中になってむさぼり読んだ、はずなのだが、今読み返すと「あれ、この本読んだっけかなあ」と実にいい加減な記憶力だ。それでいて物語の節目ではその場面が、まるで映画の一シーンを見るように鮮やかに浮かんでくるのです。
大量買いしたために読まずじまいになっていたものもありますが、二度目も新鮮に読めて楽しいものです。「流転の海」完結編の第9部「野の春」までや「田園発港行き自転車」(2018年)、「月光の東」(2003年)など比較的新しい作品もインターネットで取り寄せ、宮本作品は一段落しました。
私の本棚には、社内のチャリティーバザーなどで買ったのではと思える「柳生兵庫助」(津本陽)全8巻や「完訳・三国志」(村上知行)、「額田女王」(井上靖)など積読状態だった本が結構あって、今その積読解消のための乱読状態です。歳とともに耳が聞こえにくくなったこともあって、テレビを見るより本を読んでいる時間が長く、もっともっと読めるぞ、と張り切っています。
(元橋本通信部、上鶴 弘志)