2021.08.24
閑・感・観~寄稿コーナー~
自分の書いた記事が10年余を経て、新たな展開を見せれば、記者なら奮い立って再取材するでしょう。ましてや早期退職を控えた最後の記事だとしたら――。
それが叶(かな)わなかったボツ記事から1冊の本が生まれました。
「咲くや むくげの花―朝鮮少女の想い継いで」
秀吉の朝鮮侵略(1597~98年)で1人の機織り少女が土佐へ連行されました。望郷の念を抱いたまま、異国で生涯を閉じましたが、先進の機織り技術を丁寧に教え、地域に愛されました。死後しばらくして本格的なお墓がつくられ、今も手厚く参られています。
朝鮮の花であるむくげを庭に植えていたことから、「むくげの花の少女」と呼ばれ、同名の絵本が読み継がれています。高知支局時代の2008年に絵本がハングル、英語に翻訳されて出版されていることを知って、夕刊で紹介しました。それから10年。絵本を読んだ大阪の牧師らが少女の故郷探しを始め、故郷に浮上した韓国南西部の南原(ナモン)市で合同慰霊の準備を進めるまでになりました。動きをキャッチして出稿したのですが、故郷特定の根拠が弱いと判断され、幻の記事になりました。
もっともな指摘で致し方なかったのですが、最悪とされる日韓関係の今、交流を育もうとする和解の動きには意義があると信じ、退職後も取材を進めました。すぐに南原文化院院長らが少女のお墓がある高知県黒潮町を訪ね、「ドキュメンタリー」動画と童話を完成させました。本来なら相容れない被害の地と加害の地がつながり、かけがえのない交流が始まりそうな予感です。
恨(ハン)と民族を乗り越えようとした、少女の想いに導かれ、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で1冊の本を織り上げてみました。
少女の想いを継いだ長年のバトンリレーを追ったのが「経糸」です。自分を語り部にしたため、内なる偏見と向き合うことになり、朝鮮への蔑視観を解きほぐす糸口まで探ろうとしました。これが「緯糸」です。記者時代の最後に巡り合った多文化共生の問題にも筆が及びました。
本当の意味で、桜の国にむくげの花を咲かせよう――。越えるべき山が高すぎ、筆者の力不足は隠しようもありませんが、それを含めて、「これまで」と「今」の自分が詰まった1冊です。
(冨山房インターナショナル刊、1980円・税込み。書店やアマゾンなどで販売中)
(元編集局・渡来人歴史館=大津市=専門員、大澤 重人)