閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

地元のカブトガニの正体を知りたくて(伊藤 博俊)

2021.08.04

閑・感・観~寄稿コーナー~

カブトガニ博物館

 笠岡(岡山県)と言えば「カブトガニ」で有名、「市のシンボル」です。私の出身地なのに全く関心がなく、「生きた化石」程度の認識でした。正確に言うと「生きた化石」ではなく「Living fossil=生きている化石」です。

 小学5年まで笠岡湾の神島(今は陸続き)で育ちましたが、身近に「カブトガニ」はゴロゴロいたので全くの無関心。食用や鶏の餌にもならずアサリや藻貝、ゴカイなどを食い漁り網も破るので嫌われ者で殺処分していました。

 笠岡湾がカブトガニの数少ない繁殖地と知らなかったのか、島の人は「ドン亀」と呼んでいました。小学校の授業でも一切触れられず、私ですら「ドン亀=カブトガニ→国指定天然記念物の繁殖地」と知ったのは、ずっと後でした。当時の笠岡市も貴重な繁殖地の湾を埋め立てたのですから、そんなに重要視していなかっのかも知れません。

 かかりつけ病院の真ん前にカブトガニに似せた「博物館」がありますが、いつもボーッと眺めていただけでした。世界で唯一の研究施設と知ったのはつい最近です。それがひょんなことからカブトガニに興味を持つようになりました。

 2021年4月頃、あるクイズ番組で「鱟(「学の旧字体の「子」が魚)」の読み問題。カブトガニと初めて知りました。偶然、同じ週のNHK「ダーウィンが来た」でも取り上げていました。その番組を見た社の「競馬同好会」の東京の同人からカブトガニについて聞かれHPで話題になりました。更に大阪の同人(元運動部長の堂馬隆之さん=現Water&Life社在籍)が奇しくも今年1月、カブトガニ博物館を訪れ取材し冊子に載せていました。

 更に更に大先輩の馬路潤一さんも2002年秋に訪れ取材していることも分かりました(同じ冊子に掲載)。数年前にHNK「家族に乾杯」で笑福亭鶴瓶が来ていたのを思い出し、そして今年1月には笠岡商業(芸人・千鳥の出身校)の高校生が「カブトガニの血液でコロナワクチンを」と何かのコンテストで発表し、最優秀賞をもらった記事(山陽新聞)も見ました。短期間に偶然が何回も重なり、カブトガニの正体を知りたくなった次第です。

 2~3億年も前から恐竜に踏みつけられながらも生き抜いたカブトガニ。恐竜は6600万年前に惑星の衝突で絶滅したとか、温血動物なので地球寒冷化(氷河期)に耐えられず、食料不足と相まって絶滅したなど諸説あります。逆にカブトガニは冷血動物で数年間、何も食べなくても生きることが出来ました。氷河期も強い生命力で乗り越え、進化もせず昔の形のままなので「生きている化石」と呼ばれる所以です。

 生息地はアメリカ東海岸と日本、台湾、南シナ海や東南アジアなどで4種。日本では瀬戸内海と北九州に生息。波の穏やかな遠浅の干潟、砂浜が生息には不可欠です。しかし戦後、埋め立てなどで環境破壊が進みカブトガニは激減しました。笠岡湾もその一つです。

 昭和3年(1928年)に笠岡湾最奥部の「生江浜(おえはま)」がカブトガニ繁殖地として国の天然記念物に指定されました(2015年には佐賀県の伊万里湾も。愛媛県西条市の東予地区海岸は昭和24年に県の天然記念物)。

 笠岡湾は干満差が大きくて干潟や砂地が多くあり絶好の住処でした。しかし戦後の昭和22年(1947年)、農業用地確保なのか国営事業で笠岡湾の干拓が決定。昭和41年(1966年)から本格的に湾内の3つの島を陸続きにする干拓工事が始まり、22年掛けて1800ヘクタール(東京ドーム380個分)の農地が誕生。そのため生江浜など殆どの干潟は姿を消し、産卵地は神島水道の一部のみとなり、今は保護指定地になっています。

 笠岡湾一帯に10万尾はいたと思われるカブトガニは激減。危機感を持った笠岡市は下水道整備を進め水質向上、そして平成2年(1990年)に「カブトガニ博物館」を建設しました。生態や行動、生息環境など様々な研究に努め、成体5尾を飼育して毎年2万個の孵化に成功し、やや持ち直しています。毎年7月頃には産卵1年後の幼生(500円玉くらいの大きさ)を市民らが参加して1万匹ほど放流しています。

 博物館の敷地内には恐竜公園もあり、実物大の恐竜が点在し、古代ロマンを感じさせます。講座や体験学習なども開き年間1万6000人が訪れ、観光資源として笠岡市の力の入れようが頷けます。ただアクセスに課題もあります。それとマンホールの蓋のデザインもカブトガニです。

 カブトガニはカニではなく、蜘蛛の仲間だそうです。固い甲羅を身にまとい、兜をつけて泥地をそろりそろりと這います。爪のような脚が10本ありますが、ドーム(甲羅)の下に隠れ全く見えません。体は前体部(頭部)・後体部(腹部)・尾剣の3つからなり、大きいものは70㌢もあるそうです。何しろ動きがノロいので見た目「鈍臭い亀のよう」から「ドン亀」と呼ばれたのでしょうか。ひっくり返して腹部を見ると、それはそれはエイリアンかプレデターで目を背けたくなります。

 カブトガニ社会は「一夫一婦制」。雌は一回り大きく(体重で言うと倍)ペアになると一生連れ添います。牡は雌に乗っかかって餌を貰いながら、あれこれ指示を出すとか。これを「抱合」と言い、3年間もくっついて離れないそうです。人間界で言うと「ヒモ生活」ですが「おしどり夫婦」。人間も見習いたいものです。

 夏の大潮の満潮時に雄と雌がくっついたまま、砂浜に穴を掘り約500個産卵。終わると少し先でまた穴を掘り産卵。これを10回近く繰り返します。卵は50日ほどで孵化し幼生となります。その後、脱皮を十数回(雄は14回、牝は少し多い)繰り返して10年以上かけて成体になります。1回脱皮すると1齢(5回すれば5齢)と言い、孵化後1年で2齢~4齢。この時に放流するそうです。11齢までは干潟に潜りゴカイなどを食べて過ごします。夏場の干潟は気温の上昇が激しく、強い日差しから身を守るためにも潜ります。

 カブトガニの活動期間は水温が上がる6月中旬から9月までの3カ月半。後の8カ月半は沖合の少し深いところに潜り何も食べず休眠するそうです。水温が18度以上ならないと動きません。それ以下は休眠しています。休眠中は食事は殆ど取りません。成体後は抱合しているので余り動きませんが、幼生時は動き回ります。それも「背泳ぎ」で。甲羅がお椀型なので仰向けの方が浮力が増し安定し、長い尾剣で舵を取ります。速度は時速0.4ノット(800㍍ぐらい)とか。寿命は成体後10年くらいなので20年余と言われていますがよく分かりません。また2~3年、何も食べなくても平気なので生き残る筈です。

 面白いことが分かりました。カブトガニの主食はアサリなどの二枚貝ですが、ゴカイも大好物。そのゴカイもカブトガニの卵を食べて成長します。ある意味では「共助」でしょうか。しかしカブトガニが「家畜」しているようで一枚上。またウナギも卵が大好物。カブトガニの産卵時には泥地に潜り込み捕食するそうです。産卵数は2万~2万5000個ですが大半は卵の内に食べられます。また孵化して幼生になってもサギやカモメなど鳥類の餌食になります。成体になるのはせいぜい数匹とか。成体になると甲羅も固くなるので無敵と思われがちですがそうでもありません。腹部は軟らかく魚類に狙われひとたまりもありません。しかし環境破壊をする人間が一番の天敵かも知れません。それで3億年も生き続けているのですから生命力は桁違い。

 カブトガニの血液は青く銅を含み凝固作用があるので、病原菌の検査薬に使われたり、肝臓疾患や感染症に有効、エイズにも抑制効果もあります。笠岡商業の高校生もこれに着目し、コロナに役立つと研究発表したのでしょう。血液は成体一体に300ccほどしかありませんが、100ccも献血してくれています。「体内毒素をいち早く発見」と分かったのは1968年頃。もっと早く分かっていれば干拓などで住処の干潟を奪わず保護していたと思います。カブトガニは生命の源かも知れません。邪険に扱った人間は反省すべし。環境整備を進め保護して増やすことを願うばかりです。

 カブトガニの身は脚に少しあるだけで、食べている国は殆どありません。ただタイやマレーシアなど東南アジアでは卵を食べているそうで美味とか。産卵直後の卵の大きさは直径が3ミリで色は黄白色です。イクラの半分くらいでしょうか。また雄には何の価値もありません。

 まだまだ謎な部分が多く、はっきりとした生態などは不明です。博物館では繁殖・保護に努める一方、研究に余念がありません。本当に不思議な生き物です。ただ人間とっては有益な生き物であることは間違いありません。

 調べれば調べるほど面白い生き物です。小学生の頃、尾を掴み振り回していました。申し訳ない気持ちで今はいっぱいです。

                    (編集制作センターG2・伊藤 博俊)

カブトガニ博物館