閑・感・観~寄稿コーナー~
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わかやま市民生協との不思議な縁(中島 耕治)

2020.08.29

閑・感・観~寄稿コーナー~

 わかやま市民生協の理事に就任して2020年で11年目を迎える。和歌山放送の社長時代からで、一般の会社で取締役会に相当する理事会の懇談会、理事会の毎月最低2回は出席、和歌山放送の12年余の役員(専務1年、社長7年、会長、相談役各2年)を卒業して、神戸の留守宅に戻った後も、月2回はこれまで通り和歌山にマイカーで通っている。最近は、朝からの会議に早朝から車で通うのは危険と判断、前日から和歌山入り、ホテルに前泊して出席している。

 わかやま市民生協は今年10月24日に創立40周年を迎える。組合員数約9700世帯、総供給高121億円、職員数539人。経常剰余金は約7億7千万円(いずれも19年度)と全国の生協の中でも優秀な部類に入る。

 理事就任のきっかけは不思議な縁で、私が毎日新聞の岡山支局長時代(94年~96年)にさかのぼる。

 着任直後、東京からあるライターが「中島さんが岡山におられると聞いたので」と突然訪ねてきたのが事の始まり。このライターは私が府警キャップ時代のGM事件のことを本にしたいので、教えてほしいと訪ねてきて、取材に応じることがあった。「お宅こそなんで岡山に?」と驚く私に、彼は生協をテーマにいくつかの本を書き、岡山もおかやまコープ20周年をまとめてほしいと頼まれ、何度も東京から取材に来ていた、という。

 このライターが「おかやまコープの理事長など幹部を紹介しますよ」ということで、1年間のコープ企画がトントン拍子でスタートすることになった。官庁の発表記事が中心の記事から、生活者の目線で季節感ある企画を、をテーマに、月1の企画会議には私も出席、コープ側も各部署や組合員に広報してくれ、1年間で約200部の拡張につながった。

 あれから10年余、私が和歌山放送に転じる挨拶状をお世話になったコープ幹部に送ったところ、岡山の理事長から、当時のわかやま市民生協の理事長に「中島さんという男が和歌山放送に移ったのでよろしく頼む」という連絡が入ったという。

 生協法が59年ぶりかで改正され、理事会の責任の明確化や外部チェックの強化などが迫られ、この流れから外部識者として私が就任要請された、という話につながる。つくづく人との出会いは面白いと思う。

 理事会は県内10か所から10人の地域理事、私など全体区・有識者3人、全体区・組合員3人、理事長、副理事長の計23人。会議は監事5人も加わり、その中に男性2人がいるが、理事は私を除いて全員女性。昨年6月、この生協を支えてきた理事長(男性)が60歳を機に辞任した。「自分の後任に」と育ててきた若い専務(男性)に経営を任すのは無理、と、投げ出す形となった。一時は「中島さんに理事長を」ということになりかけたが、私にその気は毛頭もなく「体力気力」を理由に固辞した。その代わり新理事長選びと就任説得を任されることになった。

 後任者選びの難しさを痛感したが、組合員はほとんどが女性、私はこれはいい機会と、理事長、副理事長に女性理事(全体区・組合員)を強く推し就任してもらうことになった。

 これまで黒字を出しているものの、生え抜きの幹部は党派性が強く、パワハラで職員が次々と辞めていくなど暗いイメージが強いなど問題点も山積しているが、広い県内をくまなくネットワークでつなぐ生協活動の存在は貴重で、様々な可能性を秘めている。職員の意識改革、新しい組織に生まれ変われるかが問われている。

(元和歌山放送出向・中島 耕治)

 

和歌山城で毎年開催される生協まつり