閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

ただ今、「プチ終活」に奮闘中(佐々田 剛)

2020.08.22

閑・感・観~寄稿コーナー~

 7年前、縁あって毎日新聞の新聞輸送業務を受託している「㈱ヒガシ21」に再就職し、監査・法務部門の仕事を担当しています。

 「週休2日制、午前8時45分出社、午後5時45分退社」。当初は典型的なサラリーマン生活になかなか馴染めず、挨拶回りと称しては梅田3丁目界隈を徘徊したものですが、社内に飲み友達が増えるにつれて、今では、本社がある谷町4丁目周辺の居酒屋を探索する「谷4会」の常連になってしまいました。

 そんな「充実した日々」が2020年1月の母(95)の他界により急変。以来、広島県の片田舎にある実家の後片付けとお墓の改葬に奔走する「日々」が続いています。

 父が5年前に88歳で他界した後、母は父が入っていた実家近くの介護施設にお世話になっていました。父も母もすでに兄弟や近しい親族に先立たれており、私も広島を離れて40年以上になることもあって、母の死を機に近々に実家を畳むことを決断。まず、母の一周忌法要に合わせて改葬を行うことにしました。

 以後、インターネットで「墓じまい」の情報を集めるとともに、月に一度は実家へ帰省して菩提寺の住職にこちらの事情を説明し、地元の葬祭習慣などを教えてもらいました。幸い、檀家の離脱に理解のある住職だったため、法外な「離檀料」を請求されることもなく、初盆法要、閉眼法要などを執り行うことを快諾してもらいました。

 「墓じまい」の動きは、近年全国で起きているようで、この菩提寺でも数年前から何件かの相談があるそうです。菩提寺は佐々田家の系譜をよく知っており、四十九日法要の際に予めこちらのお墓事情を説明したことや、お墓の設置場所が境内ではなく地域の共同墓地にあるため改葬工事が不要なことなどが、快諾する要因の一つになったのではと思っています。

 また、お墓の遺骨を移動させるには地元自治体の許可が必要ですが、ネットで調べると「申請書のほかに受け入れ先の証明書が必要」「埋葬証明書の提出を求める自治体もある」「火葬許可書と埋葬許可書は本来異なる書類」など、様々な手続きやその理解が必要であると書かれていて、当初は頭の中が「???」状態でした。

 幸い、実家がある自治体では申請書を1枚書くだけですべての手続きが済むことが分かりました。市役所の担当者に何度か相談し、その指示に従って改葬先の民営墓地(堺市)に必要書類ついて確認した後、8月の帰省時に、共同墓地の管理人に父や先祖が埋葬されていることを証明してもらう「改葬許可申請書兼改葬許可証」への署名捺印をお願いし、それを市役所に提出。後日、市長印が押された許可証を受け取りました。

 行政への申請手続きと並行して、仏壇の改廃と墓石の処分手続きも行いました。実家の仏壇は昔風のデザインで大きいため、現在の私の家には入りません。このため、菩提寺から紹介された大阪・四天王寺の仏具店へ行き、コンパクトなサイズに買い替えるとともに、数ある先祖の位牌をまとめる方法なども相談しました。

 墓石の処分については、父の埋葬でお世話になった石材店の電話番号が携帯電話に残っていたので相談したところ、店主は5年前のことをよく覚えていてくれて、「墓じまい」の事情を理解したうえで、丁寧なアドバイスをしてくれました。田舎ならではの人づき合いです。

 この9月に広島でのお墓と仏壇の閉眼法要が終わると、母の一周忌(10月)は、仏具店から紹介された大阪のお寺の住職が法要を執り行う予定です。実家の菩提寺の住職と仏具店の店主そして一周忌法要をしてくれる住職は、ともに佛教大学の同級生だそうで、その繋がりを使って連絡を取り合い、私の「墓じまい」をフォローしてくれたようです。

 散骨、樹木葬、出前法要……。ネットでキーワードを叩くと、最新のお手軽なサービスが様々なスタイルで掲載されています。昨今の葬祭事情は、本当に大きく様変わりしました。そんな一種ドラスティックな環境変化の中にあっても、人と人との繋がりが醸し出す「温もり」は今だ健在であると改めて感じさせてくれた、この間の「人生の終わりのための活動」の一コマでした。

(元編集局・佐々田 剛)

 

改葬先の民営墓地(堺市)