2020.08.11
閑・感・観~寄稿コーナー~
大阪本社エリア報道センター長だった22019年9月に選択定年退職し、12月に縁あって大阪体育大学に就職しました。入試・広報部課長を経て、今年4月、広報室を新設して室長を務めています。
大学は関西国際空港に近い熊取町にあり、阪神甲子園近くの自宅からは2時間。1日の6分の1を電車とバスに費やしています。しかし、関空を見下ろすキャンパスには、競技別の専用体育館6棟と陸上競技場、サッカー場、ラグビー場、野球場、室内野球練習場、テニスコート、屋外プールなどがぎっしり詰まって壮観で、このキャンパスだけで国体ができそうです。春はウグイス、夏はセミやウシガエルが鳴き、たまにヘビと出くわすキャンパスにも慣れてきました。
私は、中部、大阪両本社の運動部(課)、大阪スポーツ事業部長とスポーツ畑が長く、地方部、編集制作センター、広島支局長、論説委員などを経験させていただきました。本来のフィールドのスポーツに携わりたい思いもあって選択定年退職の提案に応じ、体育大学でスポーツ一色の広報ができるかと思っていたのですが、新型コロナウイルス禍で状況は一変。仕事の大半はコロナ対策本部業務となりました。
大半の大学が前期はリモート授業のみで、後期もリモート実施を決めたところも多い中で、大体大は6月19日から対面授業とクラブ活動を再開しました。体育大の特性として陸上、体操などの実技が多く、運動クラブ活動に全学生の約8割(!)が所属していることが背景にあります。うちは全学で学生2700人程度と大手総合大学の1割弱ですが、それでも授業や昼食、クラブで密が起こらないようにするのは、簡単ではありません。下の写真は昼休みの見回りでの写真です。各部から集まった有志の職員がおそろいの3密防止ポロシャツを着て、昼休みに食堂や広場を回っています。こわもての生活指導の教員のように「食事しながらの会話は厳禁」と学生に口酸っぱく注意しています。その元締め役を私が夏休みまで務めました。
対策本部は週3回、学長以下のリモート会議が夕方からあり、4時間を超えることも。ホームページで各種注意事項を発信し、広報委員長を務める、私のボスの教授と、学長名で保護者に送る手紙を書くなどしています。
広報室は私と30歳手前の男性、主にHPのデータ更新などをお願いしている派遣の方。また、元社会部の和泉かよ子さんも非常勤講師兼学内広報紙の編集長として一緒に仕事をしています。
業務は、オープンキャンパスなど様々なイベントの取材や報道各社へのプレスリリースなど。メディアからの取材依頼も多く、在京キー局から、夕方のニュースで使うのですぐに教授のコメントが欲しいなどの依頼もしょっちゅうです。私が来るまで、仕事が少しゆっくり目だった室員には「書かれてナンボ。スピード命」とはっぱをかけています。
大体大は毎日新聞との縁が深く、高校野球で有名な浪商学園が、元運動部長で東京五輪選手強化対策本部長の大島鎌吉氏らを口説き、大阪に招いて作った大学です。運動部の大先輩の中島直矢さん、相馬卓司さんも長年、勤務されました。私も理事長をはじめ職員や教員に温かく迎えていただき、とても良い人間関係の中で仕事をさせてもらっています。
広報はある意味、事務局の中の何でも屋で遊軍だと思っています。大学の事務局は新聞社と違ってガツガツしたところはありません。「いっちょかみ」の雰囲気を学内に少しずつ根付かせることも自分の仕事だと思っています。
コロナ禍のため、飲み会など会食をすることができず、毎日新聞のかつての仲間をはじめ様々な人と情報交換する機会が減ったことは残念でなりません。コロナが収束したら、会食に精を出して現在の自粛分を取り返したいと思っています。
(元運動部、大坪 康巳)