閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

いけ花とともに(高橋 乃里子)

2020.05.17

閑・感・観~寄稿コーナー~

 お花のお稽古を始めた時に、今の自分を想像しただろうか? たまたま友人と出かけた
美術展でお抹茶を出され、そののみ方がわからなくて「これは、あかん!」と始めたお茶のお
稽古。

 その後、お茶にお花はつきものとお花のお稽古もやり始めたが、当時はお茶に対する程
の熱意は持ち合わせていなかったことを覚えている。それが、全くひょんなことから「お花を教えて欲しい」とたのまれ「どうしようか?」と先生に相談すると「自分の勉強になるからやらせてもらいなさい。でも、やるからには責任があるから研究会にも入って勉強するように」と𠮟咤激励された。

 それからが本当に勉強になった。教えるからにはいい加減なことは言えない、できない。そうなると、自分がなんといい加減にお稽古をしてきたかがよくわかった。教えることによって何と多くのことが得られたことか。教えるということは、自分が勉強させていただくということなのだとつくづく思う。

 さて、当初から教えていただいていた先生が高齢の為、別の先生を紹介して下さったのだが、その先生が生徒をのせるのが上手いというか気がつけばその気にさせているという指導者だった。弟子間にライバル意識を持たせたり、高齢化のお花の世界にあって、若い者は大きい作品に挑戦するように。又、華展の機会があれば出瓶するようにとチャンスを与えて下さった。時代も味方していたのかもしれないが、有難いことだと思う。

 その華展であるが、小作品は別として大きな作品になると可憐な花からは想像できない様な、のこぎり、かなづち、電動ドリルといった大工道具が登場するのは日常茶飯事。皆さん展覧会場の着飾った様子が想像できないTシャツにジーパン、スニーカーといった軽装で、お花と格闘してる。最後は、体力勝負なのだ。一度、夕方からのいけ込みで帰宅が午前様になってからは「夜中にごそごそされたら寝られへん。今度からは帰ってこんといてホテルに泊まって」と言われてしまった。その後は、翌日の出勤の用意を整えホテルにチェックインし、その後華展会場へ。そして、我を忘れお花と格闘すること?時間、OKのサインがでる迄時間と体力との壮絶なバトルがくりひろげられるのである。

 何でもそうだと思うが、初めて華展に出瓶させていただいた時は何が何かわからないうちに終わってしまった。後で、先生にそのことを話すと「雰囲気にのまれてしまったんやろうなぁ」と。また姉からも「日頃の実力が80%もだせたら上出来よ」と言われてしまった。もともと実力がないのにその80%?どうなるんだろう?母からも「作品を見たら、その人柄が作品に出るからね」と。

 “あぁしんど”と思いながらも、見て下さった方に「よかったよ」と声をかけられると、うれしくなり反省を繰り返しつつも、その折々に想いを込めた趣のある花がいけられるようになろうとお花と格闘する今日この頃である。

(元健康管理室・高橋 乃里子)

 

2019年秋の「いけ花大阪展」での5人でいけた作品