閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

30年以上前のスクラップやノートを処分(太田 正隆)

2020.05.04

閑・感・観~寄稿コーナー~

 今回の感染症の外出自粛を機会に、押入れにしまっておいた30年以上前の古いスクラップやノートを処分しました。「これはどうでもいい記事」「これは苦労した」と選別作業で時間をつぶせます。紙が劣化しており、捨てられない一部は記念品としてスキャナーして残します。
 メモ帳は東京出張のときにもらったもの。文字のデザインがしゃれています。大阪からの内政取材班で、1989年4月9日、中央競馬の桜花賞の日(競馬ファンなのですみません)に上京。半年間、地方版へ向け記事を送りました。国会記者証があり、省庁の食堂でお昼を食べましたが、通産省は庶民的で安く(500円以下)、外務省は上等だが高い(多分1500円以上)など、特徴があったのを覚えています。西部本社時代の同僚や西日本新聞などライバル社の記者と再会できたのも良い思い出です。
 特徴的な「毎」の社章入りのノートは、東京の街ダネのメモが書いてあり、東京でもらったものだと思いますが、あるいは持って行ったものかも知れません。「毎日新聞」の文字の入った茶色の鉛筆は、大阪か西部か。
 鹿児島支局の印は、郵便物を出すときに使ったもの。スクラップブックに押したのが、鮮明に残っていました。私のいた当時の支局(1969年建築)はとっくに壊され移転していますが、「小川町」は懐かしい住所です。宿直室が一階。社有車の車庫の隣。床が地面から30センチぐらいで低く「すぐ出動できるよう当時の支局長が作った」と支局の歴史に詳しい記者が、その由来を説明してくれました。たしかに冬、宿直の際に湿っぽかった。
 社員手帳はインテリジェントブルーを入れた「MAP」以降の数年間、表紙が青でしたが、2001年から黒い縦長になったようです。1974年の入社時の手帳はもっと小さかったような気がします。物品から記憶がよみがえります。

(元愛読者センター・太田 正隆)

残しておきたいノート、鉛筆、メモ帳
鹿児島支局の郵便物に使ったハンコ