閑・感・観~寄稿コーナー~
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学生文化の危機(玉置 通夫)

2020.04.18

閑・感・観~寄稿コーナー~

 私は62歳で毎日新聞社を退職し、以後、大學の講師、非常勤講師を続けています。現在は、立命館大学でスポーツジャーナリズム論、国際ファッション専門職大學で日本語文章論を教えています。自らの学生時代と比べると、キャンパスの雰囲気は変わっていませんが、学生気質のようなものは、変化していることを痛感しています。

 それは、真面目な学生が多いと言う事です。もちろん、真面目であることは悪くありませんが、学生らしさとでも言うような邪気が感じられないのです。

 例えば、学生文化とも言うべきものとして代返や代筆がありますが、それを十分にこなせない学生がいます。とくに就職活動が盛んな前期に多いのですが、「就職活動に忙しくて、来週は出席できません。欠席の許容回数を越えるのでどうしたらよいのでしょうか」と心配そうな表情の学生が相談に来ます。つまり、来週は出席扱いにして欲しい、という事のようです。

 そこで私は「友達はいないのか」と聞くことにしています。すると、必ず「います」と答えます。「それならば解決できるね」と言うと、怪訝そうな表情です。もちろん、こちらから手口を教える必要はないので、それ以上の話はしませんが、学生は合点が行かないらしく、浮かぬ顔のままです。

 要するに、変に真面目なんです。融通がきかないともいえますね。欠席を補うため、配られた出席カードに代筆を頼むのは、学生文化として常識であり、いわば明治時代から脈々と受け継がれてきたものです。学生時代だからこそ許される行為なのです。それを理解しないのは、「なにを考えているんだ」と言いたくなります。真面目さと邪気があってこその学生生活ではないのかなと考えたりします。

 現在の学生は受身だといわれます。授業はレジメを配り、パワーポイントで進める先生が多い。私の授業でも「レジメはないんですか」と言う学生がいます。その時、私は「そんなものありません」と素っ気なく答える事にしています。授業では、話しを聞き、黒板の文字を写すことで理解する部分が大きくなると思うからです。

 期末のレポート試験も手書きを励行させ、ワープロでの提出は不可にしています。手紙など滅多に書かなくなった現代ですが、就職の際に提出するエントリーシートも手書きが多いと聞きます。こんな拘りは、雑用紙に手書きで原稿を書いた記者生活を知る世代だからかもしれません。

(元運動部、地方部・玉置 通夫)