2020.03.02
閑・感・観~寄稿コーナー~
いささか奇妙な風景に見えるかもしれません。20歳を少し過ぎた女性たちばかりの教室に、65歳の爺さんがただ一人。しかも教壇の先生が発する言葉はネイティブ・イングリッシュ。日本語は皆無。拡大鏡がなければ読むのが困難な、小さなアルファベットが詰まった分厚い教科書と格闘する姿を想像してください。大抵の方は違和感を覚えると思いますよ。
毎日新聞社を定年退職して5年。現在、神戸外大英米学科に在籍しています。大学の正式名は公立大学法人神戸市外国語大学。神戸市西区の外れ、市営地下鉄学園都市駅から徒歩3分の位置にあります。学生数は約2000人。うち女子は7割強。私が大昔に通っていた東京のマンモス私大とは規模も校風も異なり、極めて地味な小さな大学です。
だけど、この小さな大学の学生たちは、猛烈に勉強します。私がかつて在籍していた大学では考えられない風景が随所で見ることができます。例えば図書館は、いつもほぼ満席。学食でも教科書から目を離さず、黙々と食事をしながら勉強する姿も珍しくありません。日常のキャンパス風景です。
私は神戸外大を「駅前外大」と密かに呼んでいます。では、なぜ駅前外大で学ぶようになったのか。退職後、暇を持て余し、遊びがいささか過剰になっていました。その様子を心配した妻が「そんなに時間があるならば、勉強でもしたら」と牽制球を投げてきました。妻のイメージする勉強とはカルチャーセンターに通い、絵画、書道、語学、楽器演奏などを定期的に学べば、少しは落ち着くだろうと考えたのです。
で、妻の提案にも一理あると考え、「何を学ぶか」を思案しました。しかも経済的にも余力を残す方法で。ネットで調べると公立大学で学ぶことが最も安価だと分かりました。神戸外大のコスト・パフォーマンスが高いことが分かり、家族に「神戸外大が行くぞ」と宣言しました。
ところが家族の視線は冷たく、特に娘は「お父さん、絶対に無理。不可能。あ・り・え・な・い。お父さんが合格したら天地がひっくり返る」と言い出す始末。
私も売り言葉に買い言葉。「やって見なければ分からない。可能性はゼロではない。親父の実力を見せてやる」と啖呵を切り、本気で受験勉強をしようと決意しました。しかし、英語の勉強なんて40年以上していません。
そもそも高校時代の私は、英語を苦手とはしていませんが、得意な科目でもありません。成績は並です。既に社会人になっている3人の子供が高校時代に使っていた参考書、問題集、単語集などを傍らに置きました。
それから約10カ月間、1日10~12時間、英語と対決しました。慣用語句、英単語、文法などを丸暗記しました。とにかく参考書や長文問題集などを隅から隅まで飽きるほど繰り返して覚えて、出来の悪い脳みそにすり込みました。
入試では、全問解答しましたが、合格ラインに達しているのか、自信はありません。内心、ダメだと思いました。ですから大学の合格発表は見に行きませんでした。ところが合格発表があったその夜、自宅に速達が届きました。大型の茶封筒の表に赤字で「入学関係書類在中」と書かれていました。奇跡が起こりました。
実は私の人生で第一志望に合格したのは神戸外大が初めて。高校も公立を落ちて私学へ。大学も第一、第二志望にあっさり振られ、かろうじて第三志望に引っかかる程度の成績。ついでに妻も第一志望ではありません。余計なことでした。ですから神戸外大の合格は晴天の霹靂。そして怖くなりました。「入学しても授業について生けるだろうか……」
案の定、不安は的中しました。英国人、米国人、カナダ人の先生が何を言っているのか、さっぱり分かりません。中でも米国人の先生は授業で必ずジョークを飛ばします。その瞬間、教室中が大きな笑いに包まれます。しかし私だけが、そのジョークの意味が分かりません。授業後、同級生に「なぜ、あそこでみんなが笑ったの」を尋ねます。その理由を聞いて笑う。何とも間が抜けています。
英会話の授業では、私以外は極めて流暢で、しかも美しい発音です。しかし、私はカタカナを読んでいるような発音しかできません。ヒアリングで分かるのは3分の1弱、残りは曖昧模糊。「多分、こうだろう」と推測するしかありません。読み書きは何とか、授業について行ける程度。これが私の現在の英語力です。
とにかく授業はサボらない。これだけを心に刻み、英語やスペイン語、タイ語に挑みました。正直なところ、語学以外の授業はすんなり。むしろ彼女たちより理解力があると思います。一番難しいのは彼女たちの日常会話です。言語明瞭、意味不明。難敵です。
気がかりなのは、今の大学生は本当に新聞を読みません。ネット情報を鵜呑みにします。読書は授業に関係するものだけ。もう少し新聞と読書に時間を費やしてほしいと心から願っています。社会情勢に疎いのが気がかりです。語学は優秀でも、社会常識が少し足らないような……。
驚いたこともあります。先生が黒板(あるいはホワイトボード)に板書した文書をスマホで撮影。ノートを取りません。パソコンに取り込んで、科目別に整理して保存しています。私は昔ながらに、せっせとノートに書いています。最も驚いたのは、全教室にエアコンがあり、夏は涼しく、冬は暖かい。今では当たり前ですが、かつての学生時代を振り返ると、夏の教室は蒸し蒸しで、汗だくだく。冬はスチーム暖房が効かず底冷えしました。だから授業をたびたびさぼりました。今の大学は快適です。
現在、第二期青春時代を堪能しています。楽しいこともたくさんあります。しんどいことも多々あります。まず楽しいことから。時々、私が保護者兼引率者となり、おっさんばかりが集う居酒屋で安い酒を楽しむこともあります。神戸・新開地や元町、三宮高架下の薄汚れた居酒屋に彼女たちのリクエスト応じて数カ月に一度、出向きます。彼女たちが社会人になった際には、ある程度、社会に対する免疫効果があると確信しています。もし彼女たちの中から毎日新聞社を志望した際にはよろしくお願いします。
逆にしんどいのは勉強です。月曜から金曜日は自宅で約5時間の復習。土曜と日曜は翌週のための予習に10時間。なぜ、これほど机に向かうのか。これだけやらないと授業についていけないからです。覚えるに相当の時間を費やし、忘れるのは瞬時。このため復習は何度もする必要があります。「忘れたらまた一から覚える」を繰り返します。物覚えの悪さにほとほと呆れています(どうでも良い昔のことは覚えているのですが――)。
こうした生活を4年送りました。本来ならば卒業ですが、留年します。3年前の12月末に体調を崩し、1カ月入院しました。このため、後期試験の半分を受けることができず単位が取れませんでした。卒業に必要な総単位数はクリアしましたが、必須科目の8単位が残っています。
人生の中で留年を経験するのは貴重です。誰でも出来ることではありません(と、妻には言っています)。2020年春から必須科目とは別にスペイン語(会話も含む)と英会話に特化した態勢で臨みます。今、青春を謳歌しています。
(元神戸支局・小園 長治)