2020.02.10
閑・感・観~寄稿コーナー~
「椅子に腰掛けるように膝を軽く曲げる」「片一方の足に重心をすっかり乗せて、もう一方の足をゆっくり伸ばす」「おしりを上下させず前へ」——講師のこんな掛け声で週1回の教室が始まる。太極拳の前進、後退の基本動作で「操り人形が動くように」とも。
何のことはない「まるでゴリラやチンパンジー」といつも思うのだが、これが実に難しい。ぐらつくし、辛抱できずに早く動いてしまう。足の基本動作の次は、手。ビーチボールを抱えたつもりで、両手を「脇を開け、指は小さなボールを柔らかく持っている」ようにして、胸の前で閉じたり広げたり。手足を動かして体全体の動きを整え、「練功」という中国式健康体操の準備体操を終えると、参加者全員でまず、「二十四式」と名付けられた太極拳を一回。
「起勢(チ・シ)」に始まり「野馬分鬃(イエ・マァ・フェン・ゾン)」「白鶴亮翅(パイ・フ・リィアン・チ)」「楼膝拗歩(ロン・シ・アオ・ブ)」などと続いて「収勢(シォウ・シ)」で終わる、24通りの所作を組み合わせた「二十四式」。十世紀の中国・宋の時代までさかのぼるとされる太極拳。もともと武術の一つだったが1956年、中国政府が国民の健康増進をはかろうと「簡化太極拳二十四式」を制定、普及させた。古来中国で、五禽獣(鶴、猿、熊、鹿、蛇)などの動きをまねて健康法を兼ねた拳法が編み出され、太極拳にも取り入れられた、とか(以上、ウイキペディアなどの受け売り)。
日本の武道などにもある「型」を24通り組み合わせたものだが、日本式と決定的に違うのは、終始動きが止まらないこと。「長江の流れのごとく」(解説書)一定のリズムで動き続ける。呼吸も休まず、深呼吸や息を詰めることもない。気合を発したり、見得を切ることはない。変わらぬテンポでゆったりと流れてゆくわけだ。
10年前、大病(食道がん)を患い病後、妻に勧められて岡山・倉敷の体育館で行われていた講習会に参加。3年前、西宮に戻ってきてから、近所の公民館の教室に参加した。週1回2時間。元来、運動神経は鈍く(ゴルフは100を切れないまま3年前、ギブ・アップ)、おまけに“寄る年波”で覚えも悪い。初心者向けの二十四式こそ、何とかみんなについて行っているが、上級の「四十八式」となると、いくら教えられても、覚えられない。さらに剣。「三十二式太極剣」も練習している。朱房のついた中国式の剣をふるって見栄えが良いのだが、サマになっていないと自認している。
それでも、毎朝夕のウオーキング以外、これといった体に良いことをしていないだけに、唯一の健康法とせっせと、公民館通いをしている。公民館の文化祭にも出演、教室のメンバーと衣装をそろえて、演技した。出演前夜は緊張で眠れぬ夜を、というのは大げさだが、拙い演技の恥ずかしさも含め、それなりに緊張した。リタイア生活での数少ないハレの日だった。
教室はご多分に洩れず女性陣が圧倒的に優位。初めの2年間は講師以外、男性は私一人の“黒”一点だった。今まで男性優位社会は180度の初体験。そんな中での女性の苦労が少しは味わえたし、貴重な経験でもあった。健康とハレの日といろいろな体験。老いを養ううえで、大切なものばかりだと思っている。
(元編集局・高松 道信)