閑・感・観~寄稿コーナー~
SALON

悠久の中国、「曲阜・泰山と北京」を巡って(中島 章雄)

2019.11.25

閑・感・観~寄稿コーナー~

 中国/山東省・曲阜・泰山と北京を2019年11月1日から5日まで旅行。新人記者時代の37年前、政治部首相官邸キャップ時代の20年前と大きく変わった今の中国を見てきた。

 きっかけは6月まで社長を務めていた毎日文化センターで、旧知の胡金定甲南大学教授に講座「中国の世界遺産から学ぶ中国の歴史と文化」を担当していただいたこと。胡教授と話していて「実際に現地・中国に行ってみよう!」となり、受講生+α、中島と家内の綾子、胡教授の計12人(夫婦4組)とコラボした毎日新聞旅行の太田添乗員の計13人で巡ってきた。以下、ポイントを順に説明する。

≪1日目≫

☆青島空港 入管では、顔写真、指紋採取の最新システムが入国前に大きく立ちはだかり、かなり時間を取られてやっと入国。指紋は両手の親指、同親指以外の4指、5指と入念に採取された。顔写真ももちろん撮られた。初任地・松山支局員時代の37年前、愛媛県の高校吹奏楽部に同行して山東省斉南市を訪れ、帰国後に愛媛県版で「日中友好を奏でて」を掲載したことがあったが「隔世の感」だった。 

≪2日目≫

☆古車博物館<淄博市臨淄区>を見学。高速道路の工事中に約2500年前の「兵馬俑」に似た「殉車馬坑」が見つかり、高速道路の真下に遺跡を遺したまま建設された「車」の博物館だ。現代の車がビュンビュン通る音が真上から聞こえてくる中で、車を使った古代からの歴史が順番に展示。ラクダや象の時代まで遡っての歴史的事実を紹介していた。

 

☆斉文化博物館<淄博市臨淄区>  中国の女性ガイドが説明に熱を入れたのは山東省山王庄の兵馬俑(へいばよう)。次いで、兵法書『孫子』が書かれた木簡の展示。『孫子』の著者について従来は孫子(孫武。孫氏は尊称)ではなくその末裔の孫臏(ソン・ピン、『孫臏兵法』の著者。孫武も孫臏も同じく尊称で『孫氏』と呼ばれる)とされていたが、山東省銀雀山の前漢時代の墳墓から発見され展示している遺物から、『孫子』は孫武が一旦書き上げた後、後継者たちによって徐々に内容(注釈・解説篇)が付加され今日の形になったことが分かった、とのこと。

 『孔子聞韶処(こうしぶんしょうしょ)』の拓本は、『論語』述而篇にある「子在斉、聞韶三月。不知肉味。」が原本。意味は「韶の音楽を学ぶこと数ヶ月、深くその美を尽くし、善を尽くした楽調に感嘆して、肉を食べてもその味がわからぬほどに心酔した」。紀元前517年、35歳の孔子が韶院村で「韶」という音楽を聞いて感動し3カ月間肉を食べてもその味が分からなかった。実際、博物館の一角にはきらびやかな衣装をまとった女性楽師がいて、鐘、鼓などの楽器を奏でてくれ(有料)。我々は女性ガイドが以前来た時に撮影したスマホ動画で音楽を聴かせてもらった。

 ちなみに和歌山県に在住している私・中島が注目したのは、不老長寿の薬を求める始皇帝の命で、現在の山東省蓬莱市(同市は胡金定教授のルーツの地)から出航し和歌山県新宮市に到着した「徐福」の展示。新宮市には、徐福を祭った神社、徐福寿司、徐福酒などがある、と掲示版に記載されていた。徐福の船団を再現した模型の展示もあった。

 

殉馬俑
徐福の出航の様子
徐福の出航の様子
山東省山王庄で発見された兵馬俑
『孫氏』の著者が判明する根拠となった木簡
論語の一節の拓本

 

☆姜太公祠<淄博市臨淄区>  太公望の祠(ほこら)。女性ガイドは「太公望は139歳まで生きて、その釣り針はまっすぐだった(が釣りの名人だった)」と説明していた。巨大な円墳で、周囲には中国国内だけではなく韓国や台湾などの子孫たちの一族が立てた大きな石柱がいくつも建立されていた。

 

太公望の祠

 

 

☆岱廟<奉安市> 世界複合遺産(複合遺産とは「文化遺産」「自然遺産」の各登録基準の少なくとも一項目ずつ以上が適用された遺産)の泰山のふもとにある。「天貺殿」は、故宮博物院・紫禁城の太和殿、孔子廟の大成殿とともに中国の三大宮廷建築。歴代の皇帝が泰山を訪問し封禅(ほうぜん)の儀(天と地を祭り、国家の永続を願う儀)を行う行宮としても使われた。

 

岱廟

 

 

≪3日目≫

☆泰山<奉安市泰山区> 我々は西側の桜花園までバスで行き、さらに南天門まで新しくできたロープウエイに乗車。南天門から頂上(玉皇頂、石碑「泰山極頂」には1545㍍とあるが、実際は1524㍍か)を目指した。「大観峰(だいかんほう)」には宋、唐、清各時代の摩崖刻石が並んでいた。「紀泰山銘(きたいざんめい)」が有名。石碑の中には、落款が削られているものも多く、記念や金儲けのために「削られた」ようだ。そして急な石段を登り切ると最高峰「玉皇頂(ぎょくこうちょう)」に到着。登り切った人は「英雄」と讃えられるとのこと。13人の英雄が誕生した。

 

泰山の頂上の石碑
大観峰
大観峰
泰山のロープウエイ

 

 

☆三孔「孔廟・孔林・孔府」<済寧市曲阜市>

 中心の大成殿は中国三大宮廷建築の一つ。ガイドが配布した資料によると、「中国古代の大殿の屋根の獣」には、中国の宮殿の屋根の四隅(隅棟)に動物(神獣、走獣とも)が並べる装飾があり、神獣の数は1、3、5、7、9と建物の格によって違う。大成殿は9個だった、最終日に尋ねた北京・紫禁城だけが皇帝の宮廷であり10個で、他の所には7以下の奇数だけ許されていたという。「孔府」は、孔子の直系の子孫が代々住み、且つオフィスとしていたところ。市街地を歩いて孔林に行く道中、馬タクシーが並んでいた。「孔林」は、孔子と孔子一族が眠る巨大な墓園で、中国全土に散らばった孔子の子孫たちの墓や、孔子を称える石碑や10万人以上の孔子の子孫たちの墓があった。孔子墓前には、「大成至聖文宣王墓」と彫った石碑が建っていた。皇帝が参拝した時のために「王」の文字が直接、見えないような工夫があった。

 

大成殿
観光用の馬車
孔子墓前で

 

★蛇足1 ☆ハプニング

 私達夫婦が結婚10周年にして初めての海外旅行ということで胡金定教授から「皆でお祝いしましょう!」と提案があり夕食後ケーキを頂いた。

 

ハプニング

 

≪4日目≫

★蛇足2 ☆高鉄

 2007年4月、導入された高速鉄道の営業路線は4,175km。曲阜―北京間を303㌔で走行。難点は、曲阜駅で駅構内に入場する際、入場可能が発車17分前で時間ぎりぎりだった。

 

曲阜駅で
時速302キロだが、車内は揺れも騒音もなかった

 

☆天安門広場<北京市>

我々が訪れたのは月曜で、周辺の故宮博物院などが休みだったため割とすいていた。北京での女性ガイドによると、公共施設は以前、休みなしだったが中国でも月曜は休みとなったためだ。

 

天安門広場で

 

☆鼓楼・鐘楼地区<北京市東城区> 楼の北側の広場で老人が水にぬらした筆で「日本朋友北京歓迎」と一気に書き上げました。これを見た胡金定教授も筆をとって返書。思わぬところで日中友好の場となった。広場の一角には、高齢者の為のウォーキングや腹筋、肩もみ等の器具があった。

 

 

 

中国も高齢社会。広場には老人用の健康器具があった

 

☆天壇公園<北京市崇文区> 皇穹宇(こうきゅうう)の回りは「回音壁」という円形の壁で囲まれ、何か話すと、60m以上も先の180度反対側の壁までその声が届くとか。圜丘壇(えんきゅうだん)は三段の円形石壇で、皇帝が冬至に天を祭ったところ。中央の丸い石板は「太極礒」<もしくは、「天心石」>と呼ばれ、皇帝のみが立てる場所という。観光客でごった返していたが、一行の大半が石板の上に立って写真を撮れた。夕食は、お待ちかねの北京ダックを堪能した。

 

天壇の祈念殿
天壇の皇穹宇

 

 

北京ダッグ

 

 

≪5日目≫止

☆故宮博物院(旧・紫禁城) 大混雑の中で入場する際に中国人ガイドからは、「皇帝が、外部からトンネルを掘って侵入し暗殺されるのを恐れ、煉瓦を10重にも重ねて掘り進めないようにした」と説明があった。「1日8万人」と入場制限しているが大変な混みようだった。しかし、ガイドが人ごみをうまくすり抜けてスムーズに入場。メインの太和殿前の広場に出た。そこは、官吏たちがずらりと並び全員で三跪九叩頭の礼を行った、映画「ラストエンペラー」の世界がそのままだった。前述した走獣だが、太和殿にはやはり10個あった。珍宝館の狭い場内は、大混雑。毎日新聞旅行の添乗員さんが「ウエストポーチは前にしてください!スリがいるかもしれませんよ!」と大声で注意喚起。中国人ガイドが「暢音閣」という京劇鑑賞用の建物に案内してくれた。西太后60歳の祝賀会の折、ここで連日京劇を楽しんだという。

 次いで、浅田次郎の小説「蒼穹の昴」に描かれた「珍妃井」に。光緒帝が寵愛した珍妃は、西太后に妬まれて腹心の宦官に彼女を投げ込ませた井戸。進むと「東筒子」に。「ラストエンペラー」では、溥儀が自転車に乗って走ったスポットで印象的な赤い壁の通路だった。

<<後記>>

☆現在の日中関係は来春の習近平主席の国賓としての来日が予定されるほど安定しているように見える。しかしその一方で、北大教授の拘束と釈放に象徴されるように一党独裁の中国の国家体制への疑問、香港問題、尖閣への中国公船の侵入などなど問題も山積している。私自身のこれまでの訪中経験では、中国の人たちと会話しても、本音を聞くことはできなかった。しかし、今回は「中国共産党の一党独裁は間違い。でも、14億をまとめるためにはそうするしかない」「中国は競争社会。他人のことを考えず自分の事だけで行動する」「日本人のように他人を思うようになれるまでまだまだ時間がかかる」などの言葉も耳にした。

 5日間、いい添乗員さん、ガイドさん、そして胡金定教授の適切な説明、解説、さらに同行したメンバーに恵まれ、「悠久の中国」を満喫。とても満足できた旅だった。

 

走獣は10個あった
悲劇の舞台「珍妃井」

(元編集局・中島 章雄)