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5月11日は「点字毎日」創刊記念日、来年が創刊100年=東京毎友会のHPから

2021.05.10

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点字毎日創刊号1922年5月11日付

 「点字毎日」佐木理人記者の社会面連載「心の眼」(毎月第1金曜日)で、「点字毎日」が2022年創刊100年を迎えることを知った。

 2020年5月7日付「心の眼」にこうある。

 《99年前の1922(大正11)年5月11日、日本でただ一つの週刊点字新聞「点字毎日」は大阪で産声をあげた。点字毎日とゆかりが深く、同じ視覚障害のある当事者として私が敬愛してやまない人物がいる。明治から大正にかけてイギリスで貿易会社を営んでいた弱視の好本督(よしもとただす)だ。

 全盲の人を「わが隣人」と呼んだ好本は、イギリスの進んだ福祉の実情を点字本で日本に伝えた。私財を投じ、視覚障害者を物心両面で支え、「日本盲人の父」とも称される。

 当時の大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)に点字新聞の発刊を提案。初代編集長には全盲で初めて海外留学した中村京太郎(1880~1964)を推した。ラジオ放送もなかった時代、日本の視覚障害者に情報の扉を開くきっかけを作った》

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 好本督(1878~1973)は、東京高商(現在の一橋大)を卒業、英国オックスフォード大に留学した。生まれつき弱視で、1902(明治 35)年、24 歳のとき帰国してイギリスの盲人福祉を紹介した『真英国』を発刊、各盲学校に送った。

 1906年早稲田大学の英語講師。「日本盲人会」を結成。『真英国』の中から「英国の盲人」の部分を抜き出して増補、『日英の盲人』を出版した。50ページほどの小冊子だが、日本の盲人教育の改革に強い影響を与えたという。

 その後、再び渡英し、英国人女性と結婚。商事会社「オックスフォード・ハウス」を設立し、ここで得た利益は,日本盲人のために使ったという。

 「点字毎日」発刊を訴えたのは、1912年当時ロンドンに留学していた大阪毎日新聞(大毎)の記者・河野三通士(1885~1974)にだった。

 それから10年後、大毎が堂島新社屋落成記念事業として、「サンデー毎日」、「英文毎日」とともに「点字毎日」を創刊したのである。河野の提案を、本山彦一社長が実現した。初代編集長、中村京太郎は、好本の資金援助でイギリス留学を果たした。

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 「点字毎日」は、1963(昭和38)年に菊池寛賞を受賞。その記念として翌64年、毎日新聞社は「点字毎日文化賞」を創設した。その第1回受賞者に選ばれたのは、好本督だった。

 好本は次のようなコメントを残している。

 「採算を無視して発行を続けられた『点字毎日』は、社会が協力してくれた例のうち最も著しいもので、敬意を表するとともに、感謝をしている。私のしたことはただ、英国のいいところを見て、それを報告し、そして盲人の福祉、教育が進められるよう励ましただけだ」

                                (堤 哲)

=東京毎友会のホームページから2021年5月7日

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