2025.01.23
閑・感・観~寄稿コーナー~
コロナ禍が明けて、2023年は久しぶりに旅に出ました。
コロナの中、地方の友から関空で時間があるので会う事が出来ないかと連絡をもらい関空に出かけました。びっくりしました。国際線のターミナルはゴーストタウンで証明は落ち人が全くいなかったです。こんな関空を見たのは初めてでした。国内線は細々と飛んでいる様な状態でした。友の家族としばらく交友して、友は東京の孫さんに会いに行きました。
旅に出たいと思い、前から鹿児島の知覧の特攻会館に行きたいと思っていたので行きました。 会館で特攻隊員の遺書を読み涙が出て仕方なかったです。19〜24歳の若い人が、国を憂い戦場に散って行った事が、残念でならないです。きっと戦争がなければ立派な人になっていたと思います。
秋になり今度も前から一度行って見たいと思っていた所、釜石に行って来ました。関空から仙台に行き、東北新幹線で新花巻まで行き、釜石線に乗り換えてと予定してました。仙台でホテルをとっていたので一泊しました。ホテルに着いたのが3時半過ぎでした。少し休憩して明日乗る新幹線の時刻や家族や友に送る土産等を見に、仙台の駅に行きました
色々と見て回って夜ご飯を食べて駅を出ると、ネオンが輝いて昼の景色と全く違うのです。 ホテルの方向が全く分からず困りました。歩きましたがホテルがわかりません。そこで道を歩く人に尋ねました。スマホを操作して行く道を教えてくれました。でも教えてもらった通りに行っても、 全く景色が違って、もう一回だけ聞いてみようと思い、通りの惣菜や弁当のお店から出て来た女の子に聞きました。彼女に教えてもらった通りに行ってダメなら、ホテルのカードキーを持っていたのでタクシーで帰るつもりでした。
彼女からホテルの位置を聞いて歩き始めたら、 後ろから彼女が追っかけてきて「ホテルまで連れて行ってあげる」と。「いえいえ大丈夫」と言ったのですが,甘える事にしました。ホテルまでの間色々と話しましたが、彼女も地元ではなく山形からこちらの大学に来て下宿しているとの事。
アルバイトをして親の負担を少しでも減らしたいそうで、気さくな彼女は「中学校の社会の先生になりたい」と言っていました。実家は農家で、さくらんぼなどの果樹園をしているそうです。ホテルに着いてお礼を言って別れしなに、「これも何かの縁」と、彼女とLINEの交換をしました。彼女とはそれからLINEで年2回の挨拶をしてます。今年の年賀では、春から教育実習が始まると。ちょっと夢に近づいているのかと。
翌日東北新幹線で新花巻に行ったのですが途中で新幹線が田んぼの真ん中で止まり、なんでも停電で東北新幹線が全線で止まっていると、40分ほど止まってから動き始めました。さてこれで釜石線に間に合わなくなり、新花巻で2時間。ローカル線は本数少なく一本逃すと大変です。
駅の中には大谷翔平の展示物があり色々見ていると、新幹線が遅れたので今から車を出しますと。釜石まで結構距離があるのに、釜石まで行く人7人と途中の遠野までの人1人で8人を車で送ってくれました。JR東日本も親切やなぁて思ったもんです。
釜石で三陸鉄道に乗って気仙沼まで行く予定してましたが、東日本大震災の影響により盛迄しか列車は行ってなくそこからバスとの事。持っていった地図が古くて、教訓として新しい地図を持って行く事を学びました。色々とハプニングもありましたが楽しい旅でした。
この年の11月に子供夫婦と3人で韓国のソウルに行きました。ツアーでなく自分らで行ったので移動の手段は地下鉄、タクシー、徒歩。日本よりは寒かったです。ビックリしたのは空港の広さ。子供の世話でソウルまで特急列車。車窓から見ていると日本と変わりないです。駅に着き今度はホテルまで地下鉄。駅で売っているICカードを買ってお金をチャージして、日本と変わりなくタッチで乗り降りが出来便利です。スマホで降りる駅を検索して何番出口から出ればホテルまで行けるとか? 全く僕にはわからないですが。
でも初めて行ったソウルの街は綺麗でした。面食らったのは食堂に入って注文して料理が来たときにハシがついてないので、尋ねたらテーブルのしたにあると。 また水を下さいとお願いすると「冷たい、温かい?」と聞かれた事。
ソウルの地下鉄のラッシュの凄さには、ビックリしました。たまたま夕方6時頃で、身動きが取れないほど。でも席が一つ空いていて、韓国の人が僕に「ここに座れ」と何度も韓国語で言ってくれているのです。後期高齢者の白髪頭の僕がお爺さんに見えたと思います。でも親切な人が多いですね。
それに地下鉄の深い事。子供はまた若いから階段歩くのも苦にならなのかもしれませんが、年寄りには階段は辛いです。大きな駅にはエスカレーター、エレベーター等が有りますが、無いところも。きっとシェルターになるのだと思う。
ソウルで鍋を食べに行った店は週末であったので、すごく混んでいた。たぶん日本人はいなかったと思う。あちこちで賑やかな声が聞こえてみなが楽しく騒いでいた。元気な人が多い。鍋は僕にはちょっとだった。でも子供夫婦は美味しいって最後までさらえていた。一昨年は楽しい旅をさせてもらいました。
去年は小樽、八尾(富山)、角館、また投稿したいと思います。
(元編集支援グループ、山下 勝)