先輩後輩
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イタリアの大学で「知ある無知」に身を置く(中村 秀明)

2024.06.04

先輩後輩

 初任地・徳島支局で教育担当だった梶川伸さんに「イタリアで何して遊んでんの? 興味あるから書いて」と頼まれました。

 遊びでイタリアにいるのではなく、一応留学生なので、まずその話を。2018年秋からイタリア北部のボローニャ大学に、妻とともに籍を置いています。専攻は哲学、日本において哲学との接点は若いころに遡ってもありません。何ら哲学を持たないままに記事を書き続け、定年を迎えた者ゆえに、遅くればせながら哲学にふれたいという思いでした。

 しかし、講義の内容は古代医学、幾何学、物理に数学、道徳哲学、美学、精神医学、生命倫理学など多岐にわたり、目が回りました。テキストに出てくる先逹はプラトンやアリストテレスをはじめ、アウグスティヌス、スピノザ、デカルト、ロック、カント、ヤスパース、ニーチェ、ハーバマス、ハンスヨナス…聞いたことはある人も聞いたこともない人も。正直言って、イタリア語での授業にはほとんどついて行けず、何をノートに取っていいのかもわからず、おうじょうしました。パンデミックによる物理的、心理的な苦難にもぶつかりました。

 口頭試問では頭に血がのぼり、あぶら汗が背筋をつたいます。そんな苦労をへて合格し取得できたのは180単位のうち、ようやく126。まる5年間かけた結果です。それが昨年末の段階で、残りの科目と卒論を学生ビザ更新の最終期限までにクリアするのは至難のわざです。この年末、ついに時間切れを迎えます。

 とはいえ、挫折感はありません。この年になって、知らないということを知る「知ある無知」の一端に身を置くのは新鮮かつ刺激的でした。「なるほど哲学は、世の中のあらゆる謎について問いかけ、考えるものなんだ」と単純なことに気づきました。

 それが何の役にたつのか?と問われれば、「何の役にも立ちません」と答えるしかありません。ただし、役に立つか立たないか、損か得か、効率的かどうか、コストパフォーマンスはいいのか、そんな価値観から距離を置くことができ、身も心も軽やかで自由です。

 ところで哲学は、ここ欧州でも、もはやマイナーな学問です。ビジネスに関する学科、技術系や工学系に勢いがあり、国立大学もそうした分野に人と金をつぎ込んでいます。ある哲学科の教授は「最近の欧州の政治家で、哲学を学んだ人はほとんどいない」と嘆いていました。昔はそうではなかったのでしょう。

 別の教授の言葉が印象に残っています。大学教育の目的について「より良い社会にするためとか、国を豊かにするためとかではない。あくまでも個人個人の未来のためだ」と授業で力説しました。イタリアにはファシズムに走った苦い過去があります。その反省をふまえ、自ら考えて判断し、自由な意思に基づいて選ぶ『自律した個』を尊重する姿勢があるようです。

ボローニャ大学の授業風景。ニーチェの「悲劇の誕生」をテキストにした美学の講義でしたが、内容はさっぱりのみこめず、試験は合格ラインぎりぎりでクリア

 さて、遊びの話です。試験と講義の合間を縫い、未知の場所をたくさん訪れました。とりわけパンデミック後は、それまで以上の頻度で旅に出ました。イタリア各地へ、近隣の国々へ。欧州でのパンデミックがほぼ収束した2021年春以降、そうした旅は30回以上になります。いつか、そのうちの「いつか」や「またの機会」は待っていても、決して訪れることはないと気づいたからです。

 行く先々に、日本にいては想像もしなかった広い広い世界がありました。そこに折り重なる歴史の深さと複雑さ、長い時をかけた人々のつながりのダイナミックさに驚きました。この原稿も、チェコとオーストリアへの旅から戻って書いています。土地の美味しい料理と酒、そして人にふれ、行ってみなければわからない経験を求めて足を運ぶのが流儀です。

2024年5月に訪れたチェコ・プラハにて。国民劇場のテラスから薄暮の先にプラハ 城が見えた

 この後も、ピタゴラスゆかりの海辺の街や友人の娘の結婚式がある南イタリア、「スローフード運動」が生まれた北イタリアの村などに出かけ、ポルトガルやポーランドに足を伸ばそうと目論んでいます。

                          (元経済部長、中村 秀明)