2024.02.17
閑・感・観~寄稿コーナー~
インドの風土や人々を描き続けた日本画家、秋野不矩さん(1908ー2001)の展覧会は、たいてい毎日新聞社主催でした。文化功労者に選ばれ、文化勲章を受けられるにつれて他社から開催依頼がきても、「昔から毎日さんにお世話になっておりますので」と固辞されました。井上靖さんが美術記者の頃に秋野さんらの「創造美術」結成を特報し、応援してもらったとおっしゃって。1986年、第27回毎日芸術賞を受賞しています。
私は秋野さんの三男と山仲間なので、美術担当でもないのに京都の山奥のアトリエに呼ばれたり、アンコールワットへ同行したり、家族ぐるみで付き合わせてもらいました。秋野一家と若州一滴文庫へ水上勉さんを訪ねたとき、水上さんが本紙に「山の暮れに」を連載する(1989年2月~年末)と聞き、その場で挿絵は秋野さんになったこともありました。
秋野さんが亡くなられて20年余、画集や複製画で懐かしんでいますが、「寒いときはインドがいいですよ」と言われたのを思い出し、1月中旬、秋野さんゆかりのオリッサとシャンチニケタンを訪ねました。そこは、海辺や寺院など、秋野ワールドの舞台なのです。
オリッサのプリーでは、秋野さんが滞在した「海辺のコッテージ」(私の好きな絵です)の宿(NANDY COTTAGE)を見つけました。往時は海べりだったのに、今では海側にホテルが立ち並び(プリーはヒンズー教の聖地でもあり、巡礼や観光に大勢の人が訪れます)、犬が寝そべっていたテラスはないものの、柱の名残りがありました。そして、浜辺に出ると犬が寝そべってる光景は昔のままのようでした。
浜松市秋野不矩美術館の超大作「オリッサの寺院」は、ブバネーシュワルの三つの寺院をまとめられたものですが、実際のリンガラージ寺院の大きさや細かな彫像には驚きました。それでも、秋野作品はその量感をみごとに描いていると納得できました。
コルカタから列車で2時間余のシャンチニケタンは、1962年、 秋野さんが京都市立美術大助教授のときに客員教授をつとめたビスバ‐バラティ大学(タゴール国際大学)があり、その後インド通いする秋野さん馴染みのところ。
秋野先生に教わったという女性教師が構内を案内してくれました。アジア人初のノーベル文学賞のタゴール(1861-1941)がこの地で学校を始めたときから続いているという青空教室が今も行われていて、緑豊かなキャンパスのなかを秋野先生がスタスタ歩いて現れる思いがしました。
じつは、シャンチニケタンは昨秋、ユネスコ世界遺産に登録されています。日本だと大騒ぎするところでしょうが、キャンパスはじめホテルや街角、駅などにも「世界遺産」などの表示や看板類は見当たりませんでした。校門のところに「ツーリストは午後2時まで立ち入り禁止」とあるだけ。さすが、インドだなあとおもいました。
(斎藤 清明)
=東京毎友会のホームページから2024年2月9日
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