2023.07.03
先輩後輩
最高裁判所長官が書いた「世間と人間」というタイトルのエッセー集の存在は子どものころから知っていた。会ったことはないが、著者の三淵忠彦は曽祖父だ。だが、なんとなく難しいような、敷居が高いような気がしていた。初めて読んだのが30歳代だったか、40歳代だったか。ただ、ページをめくると、いきなり「鰐を飼う」というタイトルで、ワニをかわいがって飼っていたという。大きくなりすぎて上野動物園に寄付したら喜ばれたというエッセーにビックリして、そのまま読み進んだ。
復刻しようと思ったのは、神奈川県小田原市に残った家がきっかけである。こちらは30年程前からたまに出かけていた。居心地の良い家だ。建物に詳しい友人に相談すると、数寄屋造りで細かいところにさまざまな工夫があり、建物と庭には価値があると教えられた。そこであらためてこの家の持ち主に興味がわいた。
物置をひっくり返すと忠彦宛の手紙などがごっそり出てきた。雑誌のエッセーのゲラも出てきて、家にがっちりした玄関や床の間がない理由がわかった。それらも含め、復刻版に載せた。
エッセーは身近な話題から、人としてのあり方を教えてくれるようなものも多い。忠彦が尊敬する人や行動は、現代の私たちや子どもたちこそ読んでほしい内容だと思った。
友人たちの協力も得て、できあがった本は「憲法記念日」に出版した。
忠彦については、物置の資料を更に解明するなどし、もう少し調べて、できればもう1冊の本にしたい。
折しも、来年春のNHK朝の連続テレビドラマは、忠彦の長男乾太郎の妻「三淵嘉子」がモデルである。俳優、伊藤沙莉が主演する。それを機に復刻版にも陽が当たることを夢想している。
(小田原通信部・本橋 由紀)
「世間と人間」(復刻版)は「鉄筆」刊、3080円(税込み)
《『世間と人間 復刻版』「はじめに」より》
初代最高裁判所長官・三淵忠彦は定年を前にした昭和25(1950)年2月、随筆集の『世間と人間』(朝日新聞社刊)を書き上げた。長官の肩書きから思い浮かぶ堅いイメージとは裏腹に、これがなかなか面白い。食べ物、動物、自然、裁判など内容も多岐に及ぶ。福島県・会津にルーツを持ち、戊辰戦争から敗者としての辛苦を味わい、第二次世界大戦敗戦後に民主裁判の礎を築いた忠彦が、人としてどうあるべきか、何を大切にするべきかをつづったエッセーは、むしろ現代にこそ、そしてこれからも読み継がれてほしい内容である。あらためて、忠彦の生き方に触れ、当時の様子を垣間見たり、何かを感じたりすることには意味があるのではないか。そのように考え、この随筆集を復刻することにした。日本国憲法施行から76年、憲法記念日に。
《著者・編集者紹介》
三淵忠彦 (ミブチタダヒコ) (著/文)
1880年3月3日岡山市生まれ。本籍は福島県会津若松市。旧会津藩家老萱野権兵衛の弟三淵隆衡の子。1905年京都帝国大学卒業後、司法官試補。1907年11月東京地方裁判所判事。大審院(現最高裁判所)判事、東京控訴院上席部長を経て1925年6月に退官。三井信託法律顧問。1947年8月、初代最高裁判所長官に任命される。1950年3月に定年退官し、同年7月14日に死去。
若林高子 (ワカバヤシタカコ) (編集)
1936年旧満州国(現中国東北部)長春市生まれ。46年引き揚げ。東京大学文学部卒。NHK、富士通を経て、出版社「創林社」を設立、34年間代表を務めた。水の生活文化・土木遺産をライフワークにしている。忠彦の孫。
本橋由紀 (モトハシユキ) (編集)
1963年東京都生まれ。早稲田大学ラグビー部副務。87年に毎日新聞社入社。東京社会部、英文編集長、福島支局長、地方部長などを経て、2021年秋から記者として小田原を含む神奈川県西湘地域をカバーしている。忠彦のひ孫。
=東京毎友会のホームページから2023年6月26日
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