2023.04.13
先輩後輩
ことし’2023年)の第42回土門拳賞に写真家船尾修さん(62)が選ばれた。写真集『満洲国の近代建築遺産』(集広舎刊)によるもので、船尾さんは2016年から中国東北部に通い、かつて日本が各都市に造った数多くの建造物を調べ上げ、記録した。
新京/長春67枚、大連75枚、旅順37枚、奉天/瀋陽53枚、ハルビン/哈爾濱58枚、その他の地方都市80枚。計370枚が掲載されている。
この写真集を図書館から借りてきて、パラパラめくっていたら大毎大連支局の建物が出てきた。船尾さんの説明書きによると、設計は小野木横井建築事務所の横井謙介で、施工は福昌公司。1025年竣工。2017年11月撮影とある。
現存しているか分からないが、ネットで検索すると、反対側から撮った写真が載っていた。
「欣圓賓館」とあるからホテルになっているのであろう。
支局新築落成祝賀会が1925(大正14)年510日に行われている。翌11日付「大阪毎日新聞」1面下にベタ記事で載っている。
本社大連支局の披露
【大連特電10日発】本社支局開設披露会は、銀婚奉祝の佳節10日挙行された。
五層の支局は装飾の新意匠を凝らし、内部には本社の事業統計表、模型等その他で、説明的に陳列し、来賓は大連旅順その他各地の名士七百余名で関東州内の名士という名士殆ど顔揃いの態で支局内園遊会が大賑わいをなした。
本社からは高木専務、松岡経済部長、大内支局長、その他総掛りで来賓の接待、陳列品の説明等に当たり、模擬店も開かれて和気談笑湧くが如く。いずれも支局開設を祝福した。
◇
「銀婚奉祝の佳節」とは大正天皇の結婚25周年のお祝いのことだ。
初代支局長は大内秀麿。この年に『女の一念・妖女の恋 : 支那伝奇物語』を大阪毎日新聞社から出版しているが、ネットで検索すると、明治末は米子通信部主任、1915(大正4)年の御大典のときは京都支局、その後、名古屋支局長、関門支局長を歴任して、1925(大正14)年3月に大連支局の建設中に初代支局長に任命された。
余談ながら大毎本社からの経済部長松岡正男は、日本のラグビールーツ校慶應義塾蹴球部の草創期中心メンバー。大毎は1926(大正15)年1月にラグビーチームを結成、「関西における実業団チームの第1号」(『関西ラグビーフットボール協会史』)といわれた。
松岡は、60歳を超えて超OB戦に出場、「世界最年長のラグビープレーヤー」と新聞記事になった。羽仁もと子の実弟である。
翌26(大正15)年には、大連支局開設1周年の記念イベントを支局のホールで開催しているが、その時の支局長は石村誠一。慶應義塾大を卒業、NYコロンビア大学に留学している。紳士録には「大連三田会会長」ともあった。
(堤 哲)
=東京毎友会のホームページから
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