2022.09.03
ニュース
バイク便業者の株式会社大阪ニュース社と本社との契約が2022年8月で終了し、8月31日(水)に最後の営業の日を迎えました。約50年間、主要記者クラブや取材先から紙の原稿やネガフィルムをバイクで本社まで運び、日々の新聞紙面製作を影で支えてくださいました。
デジタルの時代になり、社有スマホ・PCでのやりとりが増え、バイク便の需要が減っていました。最終日に本社から感謝状を贈呈し、山本勝也社長(69)以下みなさんに感謝の気持ちを伝えました.
以下、山本社長からお聞きしたお話です。
▼父から「いいバイクを買ってやる。仕事を手伝ってくれ。」
父親の先代社長の時代、「HONDA CB750を買ってやるからバイクの免許をとってアルバイトでバイク便を手伝ってくれ」と父から言われました。高校に通いながら始めました。印刷所から夜中2~3時に紙型バックを車4台で運んだ時代です。バイクは最も多い時期で7台ありました。その後どんどん縮小して現在はバイク2台のみになりました。
▼昔の車両課にはハーレーがありました
大阪ニュース社が参入する以前、50年以上前のことですが、毎日新聞社車両課さんが直接バイク便業務を扱っていました。当時の毎日の車両課には車はベンツ、バイクはハーレーダビットソンがありました。サイドカーもつけていたのを覚えています。
その後車両課さんが二輪業務を外部委託することになりました。新大阪にあった毎日新聞社直営の毎日自動車教習所で父親が教官をやっていた縁で毎日新聞社から父親に声がかかり、今日に至ります。昭和45年か46年のことだったとおもいます。
▼主にフィルムを運びました
私はバイクで生のフィルムを主に運びました。
・住吉大社に昭和天皇がお越しになった時、バイクでフィルムを輸送しました。バイクの前のライトとフェンダーに報道の「報」の字をつけて、道路規制なしで走れたのを覚えています。
・甲子園球場、日生球場、大阪球場、西宮球場などをバイクで回りました。当時はスタンドの決まった席に毎日カメラマンの席がありました。そこまで行ってフィルムを受け取り、本社に運びました。
・写真部さんがヘリコプターから撮影した写真のフィルムを格納庫まで取りに行きますが、以前は靭公園上空から落下傘にフィルムをつけて落としてもらって回収していました。その後、靭公園の木に落下傘がひっかかるので投下地点を淀川河川敷に変更しました。河川敷に毎日新聞の社旗を広げてそこに投下してもらいました。
▼阪神大震災のとき
1995年の阪神大震災の時は神戸で泊まり込みました。1台は尼崎に常駐しました。記者さんのお弁当運びをバイクで手伝いました。
(人事・総務部 楠原 規史)